ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』
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「神の像と肖」の記事における「ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』」の解説
フョードル・ドストエフスキーの作品は正教会側からも高く評価されるものであり、時には「正教の神髄の代弁」とまで評され、特に『カラマーゾフの兄弟』については、正教会における人間の救いについての基本的な考えが一応網羅されているとされる。 『カラマーゾフの兄弟』のКНИГА ШЕСТАЯ II. в(原卓也訳:新潮文庫版では中巻 第六編 二 C、90頁)には、ゾシマ長老の回想中の文言として、"В самом деле, чем я так стóю, чтобы другой человек, такой же как я образ и подобие божие, мне служил?"(実際、私に何の値打ちがあって、他の人、私と同じように神の像と肖である人が、私に仕えたのだろう?)との一節がある。
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ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』
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「永遠の記憶」の記事における「ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』」の解説
フョードル・ドストエフスキーの作品は正教会側からも高く評価されるものであり、時には「正教の神髄の代弁」とまで評され、特に『カラマーゾフの兄弟』については、正教会における人間の救いについての基本的な考えが一応網羅されているとされる。 ドストエフスキーによる『カラマーゾフの兄弟』の末尾の埋葬式の場面で、この祈祷文がアリョーシャの音頭により唱和されている。 訳によっては「永遠の思い出を!」などとされているものがあるが、原文で述べられているのは"Вечная память!"(ヴェーチナヤ・パーミャチ!)つまり「永遠の記憶!」であり、人々の思い出にのみ言及する性質の台詞にとどまらず、正教会の祈祷文として、復活への信仰を意識して述べられたものである。実際、アリョーシャも周りにいる少年達による「永遠の記憶!」と唱和する場面の前後における話題は、永眠者の復活を巡るものとなっている。
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