ドストエフスキーの反ユダヤ主義に関する研究
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「フョードル・ドストエフスキー」の記事における「ドストエフスキーの反ユダヤ主義に関する研究」の解説
ドストエフスキーの反ユダヤ主義については、レオニード・グロスマンが1924年に発表した。その後はデヴィッド・ゴールドシュテインが1976年にフランスで出版し、1981年にテキサス大学出版局から刊行した『ドストエフスキーとユダヤ人』は、小説、論文、手紙に現れたドストエフスキーのユダヤ人観を学術的に調査した研究書として知られる。1983年にはゲーリー・ソール・モーソンが、ドストエフスキーの反ユダヤ主義は、彼の哲学的社会的宗教的な信念の中心をなす部分と密接に結びついていると断定した。 ドストエフスキーの反ユダヤ主義については2000年代以降も研究が蓄積している。2002年にはマキシム・D・シュライヤーが『カラマーゾフの兄弟』におけるユダヤ人問題を解析した。2003年にはジョセフ・フランクのドストエフスキー伝記についてアイリーン・ケリーが、フランクはドストエフスキーと反ユダヤ主義との関係について十分に真剣に受け止めていないと批判し、これに対してフランクが返答するという論争も生じた。 中村健之介は、ドストエフスキーの反ユダヤ論は「まったく独善的で、社会評論とは言えない。被害妄想的、かつ誇大妄想的である。多弁であるが、論拠も例証もあるわけではない。ドストエフスキーにあるのは、「ロシアのすることはすべて正しい」という固定された視点あるいは激しい思い込みだけ」であると批判している。また、1880年のプーシキン記念講演も、ロシア国民には大いなる使命が与えられているという選民思想の宣言であったとする。 2008年にはゲイリー・ローゼンシールドが、ロシアの文豪であるニコライ・ゴーゴリ、イワン・ツルゲーネフからドストエフスキーに至るユダヤ人像の変遷について発表した。スーザン・マクレイノルズは「贖いと商人の神」でドストエフスキーにおける救済と反ユダヤ主義の問題を論じた トロプや坂中紀夫は、ドストエフスキーの反ユダヤ主義は、ロシアにおいて「国家内国家」を築き階級的宗教的・内的統一を保持しているユダヤ人に対してある種のイデオロギー的羨望をドストエフスキーが感じていたと指摘している。 ハリエット・ムラフは2016年にドストエフスキーにおけるユダヤ人観、人種主義、生物学的側面について論じた。
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