ドストエフスキーと日本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:17 UTC 版)
「フョードル・ドストエフスキー」の記事における「ドストエフスキーと日本」の解説
ドストエフスキーは、日本にロシア正教を伝え、日本ハリストス正教会の原型を築いたロシア人大主教ニコライ・カサートキンに会ったことがある。ドストエフスキーはニコライと会うことを楽しみにしていたという。当時の二人の会話にある彼の台詞は、ドストエフスキーの日本に対する見方と、正教伝道に対する姿勢が垣間見える貴重な判断材料である。 ドストエフスキーの作品が初めて日本に、伝えられたのは内田魯庵が『罪と罰』を英語から重訳したのが始まりである。 ドストエフスキーが日本文学に与えた影響は計り知れない。 作家江戸川乱歩は、ドストエフスキーの作品を繰り返し読み、「スリルの事」というドストエフスキーの作品に関するエッセイも書いている。また、乱歩の『心理試験』の設定は『罪と罰』から借りたものである。 映画監督の黒澤明は「ドストエフスキーは若い頃から熱心に読んでいて、どうしても一度は映画化をやりたかった。もちろん僕などドストエフスキーとはケタが違うけど、作家として一番好きなのはドストエフスキーですね」と語った。黒澤は『白痴』を、日本を舞台にした上で映画化している。また『赤ひげ』の「おとよ」は山本周五郎の原作からは離れて、『虐げられた人びと』のネリーをモデルにしている。『死の家の記録』の映画化を企画したこともあった。 小林秀雄は、前中期の代表作に『ドストエフスキイの生活』ほかの作品研究があり、昭和10年代から現在まで重版されている。 手塚治虫は、ドストエフスキーの影響を非常に受けた漫画家である。「ボクの長編の基本は『罪と罰』なんです」と公言していた。手塚治虫は『罪と罰』を初期に漫画化している。 村上春樹は、スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』、レイモンド・チャンドラーの『ロング・グッドバイ』とともに、最も好きな作品の一つとして、『カラマーゾフの兄弟』を挙げている。エッセイ『村上朝日堂の逆襲』では、「ドストエフスキーは、この世に様々な“地獄”が存在することを示した」と書いている。 三島由紀夫は初期作品『仮面の告白』の冒頭で、『カラマーゾフの兄弟』を引用している。 作品中での日本に関する言及としては、『白痴』第一編の終わりの箇所で、ヒロインのナスターシャの自棄的な振る舞いを説明する比較的重要な場面において、比喩として近代以前の日本の武士階級の切腹の風習が持ち出される。
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