正教会の祈祷文
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 14:32 UTC 版)
「善きサマリア人のたとえ」の記事における「正教会の祈祷文」の解説
正教会の祈祷書中に、以下のような祈祷文がある。 我イエルサリムより出づるが如く爾の神聖なる戒より離れて、イエリホンの慾に至り、度生の慮に惹かれて、盗賊の思に遇ひ、此等より子たる恩寵の衣を剥がれ、傷に蔽はれて、氣息なき者の如く臥す。司祭は來りて、傷を見て顧みざりき、「レワィト」も忌みて過ぎたり。唯爾、童貞女より言ひ難く身を取りし主ハリストス神よ、爾の救の脅より流したる血と水とを膏の如く我が傷に沃ぎ、之を醫して、慈憐なるに因りて、我を天上の會に合せ給へ。 — 三歌斎経、第五週間の金曜日の晩課、「主よ爾に籲ぶ」のステヒラ ここには エルサレム(イエルサリム)からエリコ(イエリホン)に行って強盗に襲われた「ある人」は、神から離れて罪に陥っている自分をあらわすとする解釈 このたとえ話に登場するサマリヤ人は、キリスト(ハリストス)をあらわし、傷の癒しは教会における機密をあらわしているとする解釈 などが反映されている。
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