正教会の聖書翻訳
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「ギリシャ語訳聖書」、「ロシア語訳聖書」、「正教会スタディバイブル」、および「日本正教会訳聖書」を参照 正教会の奉神礼では、プロテスタント教会の礼拝またはカトリック教会のミサのように、信者が聖書朗読に参加することはなく、一般的にいって聖書全書(旧約・新約)を読むあるいは求める需要は比較的少ない。しかし、神品(聖職者)あるいは聖書専門家による聖書翻訳は綿々とおこなわれてきて、上の参照をギリシャ語、ロシア語、英語、日本語の例で見られたい。
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正教会の聖書翻訳
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詳細は「日本正教会訳聖書」を参照 ウィキソースに我主イイススハリストスの新約の原文があります。 正教会からは1861年にニコライが日本での宣教を開始し、着実に信徒を増やしていた。その布教実績について、プロテスタント諸教会を上回っていたという評もある。しかし、祈祷書などを1877年ごろから刊行していたとはいえ、聖書翻訳についてはカトリック同様に立ち遅れ、漢訳聖書やプロテスタント刊行教書を用いて布教していた。 1880年代には詳細な注解書の翻訳も複数現れたものの、聖書については翻訳委員社中の『新約全書』訓点版を正教会式に固有名詞を読み替える形で使用するにとどまった。この正教会式の訓点本は1889年に公刊された。正教会初の聖書翻訳は1892年に現れた上田将訳『馬太伝聖福音』とされるが、これとは別にニコライと中井木菟麻呂はロシア語の聖書辞典をもとに和訳語の検討を重ね、1895年から1896年にかけて新約聖書を粗訳、その検討を経て1901年に『我主イイススハリストスノ 新約』を公刊した。一般にこれは日本正教会翻訳と位置づけられている。底本は教会スラヴ語、ギリシャ語、ロシア語の聖書とされ、2種の英訳聖書なども参照された。ニコライ自身の日記には、上田訳を参考にしたことも書かれているが、カトリック、プロテスタントの訳は意識的にであれ無意識的にであれ影響されることを嫌い、一切参照しなかったという。翻訳に際しては大槻文彦、落合直文、林甕臣ら国語学者の意見も仰ぎ、細部の文法にまで配慮がなされた。日本正教会では今日も奉神礼ではこの翻訳のみが使用される。なお正教会が礼拝(奉神礼)で用いる聖書は、誦読のために編纂・分冊された『福音経』『使徒経』の二冊で、これらは西方教会由来である章節の区切りを取らず、端とよばれる正教会に独自の区切り構造をもっている。 旧約部分についてもニコライは日本での活動初期から翻訳を始めており、1877年から1878年頃に石版印刷されたと考えられる『朝晩祈祷曁(および)聖体礼儀祭文』に収録された聖詠(詩篇)の抜粋は、日本語訳された詩篇の訳として最古の部類に属するとも指摘されている。聖詠は奉神礼で頻繁に使われるため『聖詠経』(1885年)として全訳されたが、他の部分については、各祈祷書の旧約朗読箇所の部分的な訳のみにとどまった。ニコライは没する直前まで祈祷書の翻訳をしていたが、旧約聖書の全訳は完成されないままとなった。なお、ロシア正教会では伝統的に七十人訳聖書の教会スラヴ語訳が重んじられており、1876年に聖務会院がロシア語訳 (Russian Synodal Bible) を作成した際にも、七十人訳の読みが取り込まれていた。ニコライは当初の祈祷書の翻訳では聖務会院訳を重視しており、『聖詠経』の翻訳に際してもそれを底本とし、北京宣教団訳『聖詠経』(漢訳)なども参照していた。しかし、晩年の翻訳では、七十人訳に回帰した読みも多くなっている。 日本正教会訳聖書では、固有名詞の表記が教会スラヴ語のロシア語風再建音に由来する表記を反映している。スラヴ系の転写を経ている上に、その教会スラヴ語の表記はコイネーの中世以降の読みを継承していた(他方、西方教会の表記は古典ギリシャ語再建音を主に継承した流れであった)ため、他の日本語訳聖書とは表記が大きく異なる結果を生んだ。たとえば、イエス・キリスト(中世以降のギリシャ語ではイイスス・フリストス)は「イイスス・ハリストス」、ヨハネ(同・イオアンニス)は「イオアン」等となる。 日本正教会訳聖書は、正教徒の高橋保行が「教派にかかわりなく使える、もっとも信憑性の高い聖書」と評しているのは勿論だが、明治のプロテスタント宣教師にさえも使徒言行録とヨハネによる福音書については「現在あるどの訳よりも格段に優れている」と評する者がいた。プロテスタントの藤原藤男のようにその文体をあまり評価していない者もいるが、現代の聖書事典などでは「端然荘重な文体」、「正確な訳文と言われる」等と紹介されている。他方で、この翻訳が難解なのは事実であり、1930年代には正教徒からも改訂の必要を訴える声は上がっていた。しかし、生前のニコライ自身は正教会の教えを正しく理解してもらうことによって信徒の理解を翻訳の方に引き上げるべきで、逆に民衆におもねって訳文の正確さを損ねることには反対であった。1930年代の論争でも、中井木菟麻呂はニコライが緻密に組み上げた訳文の一部だけを崩すことは困難である上、その荘重な文体も維持せねばならないため、改訳の必要に理解を示しつつも、安易な改訳には反対の意向を示していた。結果、今に至るまで日本正教会訳は当初のものが守られており、そうして長く受け継がれてきたこと自体も評価できるとする意見もある。
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