翻訳委員社中
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 08:45 UTC 版)
1872年(明治5年)9月20日から25日に、最初の日本在留宣教師団(長老派、改革派、アメリカン・ボード)の合同会議(横浜宣教師会議)がヘボン診療所で開催されて、共同事業として聖書和訳が決議された。S・R・ブラウン(改革派)、J・C・ヘボン(長老派)、D・C・グリーン(アメリカン・ボード)の3人が委員に選出される。聖公会、ロシア正教会にも呼び掛けたが、不参加であった。 1874年(明治7年)3月に翻訳委員会(翻訳委員社中)の初会合をブラウン宅で開催する。委員は、J・C・ヘボン、S・R・ブラウン、D・C・グリーン、R・S・マクレイ(メソジスト派)、N・ブラウン(バプテスト)、J・パイパー(英国聖公会宣教協会:CMS)、W・ライト(イギリス海外福音伝道会:SPG)であった。 3月25日の会合初日で、ヘボン、ブラウン、マクレイ、グリーンの4人で以下のことを決定した。 1. 会合が成立して、ものごとを取り決めるための定数を3人にすること。 2. 議論が分かれた時は多数決にするとすること。 3. テキストとなる原典として、テクストゥス・レセプトゥス(公認本文)を用いること、 4. 会合は月、水、木、金の午後2時-5時に開くこと。 そして、ヘボンが訳した「ルカ伝」の改訂について会合がもたれる。3月27日にはN・ブラウンも参加して、「議論が分かれて15分以上に及ぶ場合は、次回に回し、その日は議論なして投票で決めること」が加えられた。7月17日までは5人で続けたが、7月20日からはN・ブラウンが欠席した。
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