東京翻訳常置委員会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 08:45 UTC 版)
旧約聖書は、C・M・ウィリアムスが翻訳を進め、東京系の宣教師がイニシアティブをとり、1876年(明治9年)に10月に旧約聖書翻訳のための「東京聖書翻訳委員会」が設けられた。タムソン、ジョン・パイパー、H・ワデル、G・コクランが参加した。 1877年(明治10年)タムソンが翻訳していた『旧約聖書創世記第一、二、三章』が刊行された。翌年、11章までが刊行される。東京聖書翻訳委員会がイギリス系教派に偏っていたので、アメリカ系教派の提案で、1878年(明治11年)に宣教師会議を開催して、東京聖書翻訳委員会と横浜のJ・C・ヘボンたちの「翻訳委員社中」を発展解消させて、両者を統合した「東京聖書翻訳常設委員会」が設立された。 これにより、「東京聖書翻訳委員会」のメンバーであるパイパー、ワデル、コクランに加えて、翻訳委員社中のメンバーJ・C・ヘボン、S・R・ブラウン、N・ブラウン、D・C・グリーン、マクレイ、J・ゴーブル、W・ライト、クインビー、F・クレッカーらが加わった。そして、10月の委員会においてヘボンが委員長に選出された。 旧約聖書の翻訳は地方単位(函館、東京、横浜、新潟、神戸、大阪、京都、長崎)で行うことになり、ヘボンたちの横浜委員会には箴言が割り当てられた。 1879年に、パイパーの個人訳『旧約聖書 約拿書哈基書馬拉基書』(ヨナ書、ハガイ書、マラキ書)が刊行される。同年、東京聖書翻訳委員会の最初の刊行として、ファイソン訳の『約書亜記』が出版される。 地方での分担翻訳は効率的に機能せず、1882年1月の会合でJ・C・ヘボン、フルベッキ、P・K・ファイソン、D・C・グリーンが選出された。
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