宣教師会議
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/20 03:16 UTC 版)
「クリストファー・カロザース」の記事における「宣教師会議」の解説
1872年9月20日から、横浜居留地39番のJ・C・ヘボン邸で在日プロテスタント各教派による、第一回在日宣教師会議が開かれて、聖書の翻訳、教会の組織、医療事業などが協議された。その会議で、S・R・ブラウンが超教派主義を主張したのに大して、ヘボンとカロザースは教派主義を主張した。 1874年に英語塾を拡大して、新湊町に寄宿舎付きの英学校を開設した。この学校は築地大学校もしくは東京大学とも呼ばれた。カロザースとスコットランド一致長老教会の宣教師4人が教師人になった。瓜生外吉、都築馨六、尾崎行雄、真野文二、戸川安宅、戸田欽堂、増田増三、渡辺信、松本源太郎、赤壁次郎、石原保太郎、田村直臣など後に活躍した優秀な人材が学んだ。 1874年10月18日は田村直臣など築地大学校の生徒を含む11名で、東京第一長老教会(日本基督教団芝教会と巣鴨教会の前身)を設立して、自らが仮牧師に就任した。 また、横浜でオランダ改革派教会がブラウン塾を開催して神学研究をしていた。その動きに合わせてアメリカ長老教会でも神学教育を始めるために、1875年1月5日に築地居留地6番の会堂で、築地六番神学校が開校された。教師はカロザースとO・M・グリーンが務めた。 このように、カロザースの築地での活動を中心にできた信仰者の群れは築地バンドと呼ばれる。
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