日本聖公会設立後
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「チャニング・ウィリアムズ」の記事における「日本聖公会設立後」の解説
第一回プロテスタント宣教師会議以来協力関係にあった英国聖公会と米国聖公会が合同で日本聖公会を設立する。組織設立には米国聖公会のウィリアムズと英国聖公会のエドワード・ビカステスが主導的な役割を果たし、1887年2月11日に最初の総会を開催した。ウィリアムズは旧約聖書の日本語翻訳にも取り組み、1888年2月3日にプロテスタント各派の宣教師たちにより開催された明治元訳聖書の旧約聖書翻訳完成祝賀会では、米国長老派教会のジェームズ・ヘボンが司会を務める中、会の冒頭でウィリアムズは詩篇19篇の朗読を行った。会ではヘボンとフルベッキにより翻訳の沿革が語られた。1889年にはウィリアムズが日本伝道主教を辞任し、ジョン・マキムが主教を後任した。1890年11月1日には、ウィリアムズの要請により医師で聖公会信徒の長田重雄が京橋区船松町13番地に「愛恵病院」(英語名:Tokyo Dispensary)を設立する。この病院は「築地病院」(英語名:St. Luke's Hospital)と改称されたのち、ルドルフ・トイスラーが1901年2月21日に設立する「聖路加病院」となった。ウィリアムズは1893年12月にアメリカへ帰国した。
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