最初の総会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/24 22:06 UTC 版)
「マサチューセッツ湾植民地」の記事における「最初の総会」の解説
植民地の勅許は、マサチューセッツ議会に役人を選抜し植民地の法を定めることを認めていた。この勅許によると、植民地の立法を行い総督を選ぶ権限は、ウィンスロップと数名の株主(Freeman)にしか与えられなかった。アメリカでの最初の総会は1630年10月に開催されたが、ウィンスロップと7名の助役(Assistant)が出席しただけだった。彼らは知事の補助を勤める「委員会」の全ての代議員、執行役および判事を選んだが、すべてその8人であった。続いて町の境界を定め、税を設定し、役人を選んだ。この限定された人々によって起こされた動揺を鎮めるために、ウィンスロップの出した決断は、Freemanの意味を読み換えて政治の基盤を拡張することだった。Freemanは、年季奉公人を除く成人男子でピューリタンの教会員を意味するようになった。 1631年5月の総会には、118人の入植者が「成人男子教会員」(Freeman)として議会に参加した。彼らには立法権はなかったが、立法権を持つ助役を選ぶことができた。1632年に全植民地に対して税が課されたときに、このやり方に対する不平の声が上がったが、ウィンスロップがそれを鎮めることができた。ウィンスロップは、従来の助役に代わって、成人男子教会員が総督を直接選挙できることに同意した。
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