最初の脱出の試み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/24 15:54 UTC 版)
4月25日早朝、ブッセは第21装甲師団より抽出されたフォン・ルック戦闘団と第35SS警察擲弾兵師団より抽出されたピプコルン(英語版)戦闘団にルッケンヴァルデ-ユーターボークへ通じる道をバールート方向から突破するように命令した。ルック戦闘団は第125装甲擲弾兵連隊と第21装甲連隊の残余戦車で形成されており、エルベから進撃を開始した。リューディガー・ピプコルン親衛隊大佐率いるピプコルン戦闘団は第35SS警察擲弾兵師団と第10SS装甲師団から形成されており、シュレプツィヒ(英語版)から進撃した。ハンス・フォン・ルック大佐率いるフォン・ルック戦闘団は第9軍の退却路を確保し、維持することを命令されたが、避難民は同行を許されなかった。ルック戦闘団はバールート付近でソビエト赤軍第50親衛狙撃師団(増強されたIS-2をダッグイン陣地に配置)に遭遇するまでベルリン-ドレスデン間のアウトバーンの西側へ順調に進出した。一方、ピプコルン戦闘団はしばらくするとソビエト赤軍第329狙撃師団に遭遇、パンターを含む一部の部隊がバールートに至ったが、戦闘団は散り散りになった。バールートでは激戦と化したが、戦闘団が勝利する見込みはなかった。ブッセはルックにバールート付近に留まる事、ただし第12軍が東への戦闘を開始した場合、その連携攻撃時にはこの命令は破棄すると命令したが、ルックは従わずに部隊を解散させエルベ方面へ各々で脱出するよう命令した。 翌日もバールート一帯では戦闘が継続し、駆逐戦車部隊がダッグイン陣地のスターリン戦車を狩り出した。極少量の補給物資が空輸されたが、戦闘団にはソビエト赤軍の反撃に対応するだけの戦力が無かった。昼ごろ、ソビエト赤軍第4爆撃航空軍団所属の爆撃機55機による激しい爆撃があり、と同時に第1、第2航空襲撃軍団らが常時8~9機でトータルで500回以上の反復攻撃を行った為、戦闘団は大混乱を起こし多数の死傷者を出した。両戦闘団は撃破され、ソ連の資料によれば、5,000人の捕虜、40両の戦車、自走砲を撃破し200以上の小火器、迫撃砲を鹵獲したとされている。これらは脱出時に失われ、ピプコルンは戦死、ルックは4月27日、捕虜になり、少数の兵士がハルベに脱出することができた。
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