宣教師のチベット学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 14:26 UTC 版)
中国や日本では古くから知られ、西洋でも知られていたが、近代西洋人の間でチベットの存在が意識されたのは、17世紀初頭にポルトガル人宣教師アントニオ・デ・アンドラーデがチベットに入ったことが端緒とされる。多くの宣教師が記録を残したが、西洋人のチベット研究で高い評価を受けるのは、1716年にチベットに入ったイタリア人宣教師イッポリト・デジデリ(英語版)である。彼はチベットのラサに1721年まで滞在し、チベット語・歴史・文化を学び、帰国して『チベットの報告』を書いた。
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