改訂について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 22:06 UTC 版)
『タラス・ブーリバ』は1835年の作品集「ミルゴロド」において発表された後、1842年に改訂版が出版された。以下、前者を「初版」、後者を「改訂版」として述べる。改訂版は初版の全9章から3章が追加されて全12章となり、分量としては2倍近くになっている。改訂版には新たエピソードや人物が加わるが、アンドリーの裏切りと死、オスタップの処刑、タラスの悲劇的な最期などの大筋は初版と変わっていない。本質的な変更は、物語の出来事ではなく、登場人物の造形にある。 もっとも大きな変更が見られるのは、アンドリーの性格である。初版では、アンドリーはポーランド側に寝返った後、「臆病さ」が前面に出る。彼は遠くに父親の姿を認めただけで全身が震えだしたように見え、兵士たちの後ろに身を隠して隊を指揮をする。このため、兵士たちはタラスに恐れをなして、アンドリーを見捨てて逃げてゆく。アンドリーは銃を投げ捨て、遁走する味方に「助けてくれ」と呼びかけ、立ちはだかる父親の前でも往生際の悪さを見せる。改訂版でのアンドリーは、自ら部隊の先頭に立って猪突猛進し、父親の前に立っても逃げようとはしない。これに伴い、アンドリーの恋人であるポーランド貴族の令嬢の描写も異なっている。初版では、アンドリーと再会した彼女は「均整の取れた足」を見せ、強い視線をアンドリーに向ける。ここでの彼女は「誘惑者」である。しかし改訂版では、彼女は悲しげであり、アンドリーが祖国を裏切ることへの気遣いを見せ、アンドリーが持参した食料を自分よりもまず母親に食べさせようとする。ここでゴーゴリは、男同士の友愛を最高とするコサックの美学によって否定された、女性や母親への情愛を対比させている。 タラスの描写にも変更がある。初版では親子の情愛や人間臭さがほのみえる場面があるが、改訂版では、彼の「父」としての感情は、実の息子よりもむしろ部下のコサックたちに向けられ、個人の父親から同志たち全体の父親へと役割が移行している。また、オスタップは、処刑台での拷問に耐えていたものの最後の最後でくじけそうになるのは二つの版で共通しているが、その理由が異なっている。初版では「新しい地獄的な道具」を見たことが直接の理由であり、改訂版では恐ろしい処刑道具を見たことよりも、「鼻をほじりながら見物する」ような人々の無関心の中で苦痛に耐えなければならないことが理由となる。後者において彼が欲しているのは、彼の忍耐と死が無意味ではないことを認めてくれる精神的支柱としての「父」である。 さらに、改訂版ではユダヤの商人ヤンケリの役割が増しており、金力による支配が戦いの意味や死の意味など伝統的な価値を軽視する風潮を招き、無関心を拡大していることが印象付けられる。『タラス・ブーリバ』改訂の時期は、『死せる魂』第一部の執筆時期と重なっており、当時のゴーゴリの問題意識がこれらの改訂に反映されていると考えられる。
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