ルーシのツァーリ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 01:41 UTC 版)
ツァーリの称号は、元々古代教会スラヴ語で神(天のツァーリ・正教会の祈祷文「天の王」が代表例の一つ)やローマや東ローマ皇帝(カエサルからツェザリ、省略形としてのツァーリへと変化)に対して使われていた。キエフ・ルーシで確認できる最初のツァーリの称号の使用は、11世紀のヤロスラフ賢公に対するそれである。もっともこれは自称ではなく、そう呼ばれていたことが分かっているだけである。 その後、断続的にツァーリの称号を付される君主たちが年代記上に現れている。上記以外には、聖ボリスとグレプ、大ムスチスラフとその子イジャスラフ、大ムスチスラフの孫のロマンがこの称号で呼ばれたことがある。しかし、そのことを以て、彼らが同時代の東ローマ皇帝や神聖ローマ皇帝と同じ位階を求めていたと考えるのは早計に過ぎる。この称号は聖職者が公に対して用いる東ローマ風な美辞麗句の一つだった。 しかし、モンゴル支配時代(モンゴル帝国)には、最初はカラコルムの大カーンに、次いでサライに君臨するジョチ・ウルスのハンを指して「ツァーリ」と称する用例が見られ始める。この時期、東ローマが「滅亡」(十字軍によるコンスタンティノープル陥落により、1261年に復活するまで東ローマにツァーリが存在しなかった)したと理解されたことも、これに拍車をかけたとされる。ただし、復活後には東ローマ皇帝にもこの称号は使用され続け、このように、ルーシでは2人の人物がツァーリと呼ばれていた。軌を一にして、ルーシ諸公にほとんどツァーリの称号が使用されなくなっていく。例外はトヴェリのミハイル、そしてヴォルィーニのウラジーミル、ハールィチのロマンだけである。 当時のツァーリのイメージは、かつての正式な君主号ではない美辞麗句の一つではなく、自分よりも上位に支配者を持たない君主に付された称号になっていた。このことについては、『イパーチー年代記』が説明している。そこでは、「ダニーロの父(ロマン)はツァーリだ」が、ダニーロはタタールに「膝を屈し、自分はタタールの従僕であるとハンの前で述べたこと」を理由として、ツァーリの誉れに値しないと記されている。 いずれにせよ、ハンが存在していた時期には、基本的にはハンだけがツァーリと呼ばれていた。その後、ハン国国家の弱体化がこの使用法に変化を及ぼすことになった。
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