再選、選挙違反事件とは? わかりやすく解説

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再選、選挙違反事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 04:20 UTC 版)

杉浦正健」の記事における「再選、選挙違反事件」の解説

杉浦実弟杉浦矩康は1986年総選挙後、兄の公設第一秘書となった。その年の清和会忘年会先輩秘書から裏金づくり教えられる自身給料ボーナス就職斡旋謝礼金などを3年がかりでこつこつと貯め、議員会館引き出しに1,300万円蓄えた杉浦矩康と岡崎高校時代同窓生で、岡崎中央魚市場社長鈴木康夫1986年総選挙では選挙事務所書類整理などを行っていた。1988年市長選選対幹部分裂すると、矢作町出身鈴木杉浦から「康ちゃん」「康夫くん」と地元のことを一切任されるようになった。そして1989年11月頃、岡崎市議の間で「杉浦ケチ面倒見が悪い」との悪評流れているのを聞き買収工作計画東京の矩康に電話し議員さんモチ代でも」と持ちかけた。 1989年12月5日海部内閣閣議年末年始政治日程決定。年が変われば衆議院議員任期は残すところ半年余しなくなり次期衆院選は「翌年2月3日公示2月18日投票」との観測強まった12月中旬鈴木は矩康から1,300万円受け取り、これを選挙買収原資とした。12月下旬にかけ、後援会事務局長として、保守系市議対し一人当たり30万円または50万円現金配って歩いた。すぐに突き返した議員複数いたが、金を受け取った市議20人は洋服代や娘の結婚資金借金返済自身後援会幹部への歳暮代などに充てた。集票活動使った者は一人もいなかった。同年12月下旬杉浦は約1千万円をかけ、岡崎市牧御堂町縦横100メートル敷地プレハブ2階建てと平屋建ての計3棟事務所建てた。他陣営は「日本一大きいのでは」と揶揄した1990年1月9日後援会常任役員会開かれた選対委員長には、1980年内田事件逮捕され1984年市議選返り咲いた石川新平市議就いた石川幹部が「中根鎭夫後援会」と「杉浦正健後援会」が合同で開く新年会案内文を配ったとき、医師後援会会長岩瀬敬司が「ちょっと待った。そんなことは聞いとらんぞ」と突然声を荒げた新年会結局中根鎭夫後援会」の単独主催となるも、選挙前大事な集まりのはずの新年会後援会長の耳に入ってなかった事実関係者多くは不安を覚えた1月16日開かれた選対婦人部の会合石川は「兵隊上官命令には『はい』と言って従うものだ」と口上述べたあと、役職リスト配布婦人部長には、杉浦高校時代恩師で、小学生バスケットボール指導者として知られる愛知県女子体育連盟会長矢田香子の名前があった。公示後も陣営内のちぐはぐぶりは続く。2月13日朝、矢田自宅に「今日午前10時から婦人部の総決起大会あります挨拶してください」という電話が入るが、矢田大会の開催聞いたのはその日初めであったこうした背景の中で発言力増していったのが、前市議会議長の河澄亨だった。河澄は総選挙翌春の自らの県議選基盤づくりに利用せんとする意図があり、前回杉浦擁立尽力した反河澄派の市議らを選対中枢部から排除陣頭指揮に立ち、選対牛耳った。河澄に対す反発強かったが、陣営では宮川達、広瀬倉吉村松武ら河澄派の市議5人を「五奉行」と呼び別格扱いした。 旧愛知4区の中でとりわけ金食い選挙」ぶりが目立ったのが杉浦陣営であった1月下旬岡崎西尾の両市で総決起大会開催岡崎会場では100人以上の女性ペンライトを振らせ、ビデオカメラ使ってステージ両脇演説者のアップを大画面映し出した西尾会場では開会前余興として手品師演歌歌手ショー企画した。1台約8万円で約50台のバス借り切り両会場で約4000人を動員し会場入口パン牛乳入った袋を参加者配った支援者タクシー会社ではポスターが横一列何十張られ通行人驚かせた。 同年2月18日総選挙実施社会党新人川島實トップ初当選杉浦得票数3位再選。翌2月19日買収申込み疑い鈴木康夫逮捕される2月22日から3月19日にかけて、被買収疑い市議13人が逮捕され市議7人が書類送検された。3月5日杉浦矩康が買収疑い逮捕された。「市長選のしこりで杉浦から去って行った初当選時のベテラン選対連中が、もしそのまま残っていたら、こんな素人選挙はしなかったろうに」「これほど市議大量に捕まるのは、選挙知らない鈴木が〝オキテ〟を破ってあからさまにしゃべっているからだ」と支援者悔しさをにじませた。 実弟杉浦矩康と後援会事務局長鈴木逮捕されたにもかかわらず杉浦連座制適用を受けなかった。連座制規定する公職選挙法251条の2は「公職候補者又は公職候補者となろうとする者」を対象としているが、改正前の事件当時は「公職候補者」とのみ記されていた。また、この言葉字義どおり解釈する最高裁判所昭和35年2月23日判決があったことから、買収工作時点杉浦は「公職候補者」に当たらず丹羽兵助同様に起訴免れた同年3月30日ユートピア政治研究会会合開かれる生気失った杉浦対し同情的な議員もいたが、同僚たち一様に思議がったのは「たいして票にならない市議への買収効果であった。ある国会議員取材対し「本気で買収するなら、まじめに選挙やっている人に渡して末端にまいてもらう」とコメントした同年9月25日までに17人の市議辞職し11月4日にその補選が行われた(翌1991年にさらに2人辞職)。 1993年7月総選挙は、社会党現職川島に4,100票差で敗れ落選

※この「再選、選挙違反事件」の解説は、「杉浦正健」の解説の一部です。
「再選、選挙違反事件」を含む「杉浦正健」の記事については、「杉浦正健」の概要を参照ください。

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