交流の導入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 01:30 UTC 版)
最初の交流電気機関車を設計したのはシャルル・ブラウン (en) で、当時チューリッヒの Oerlikon(アセア・ブラウン・ボベリの前身の一つ)に勤務していた。1891年ブラウンは三相交流を使い、ラウフェン・アム・ネッカーの水力発電所からフランクフルト・アム・マインの鉄道駅まで280kmの長距離を結んだ送電実験を行った。ブラウンはかつて Jean Heilmann の蒸気 - 電気機関車の研究に参加しており、その経験から三相交流電動機が直流電動機よりも駆動力が大きく、しかも整流子がないために構造が単純で製造や修理が容易だということに気づいていた。1896年、Oerlikonはルガーノの路面電車に世界初の商用交流システムを納入した。この三相交流電動機は一定速度で動作し、回生ブレーキ機構を備えており、急勾配の多い場所に適していた。三相交流電気機関車を本格的な鉄道で最初に採用したのはスイスのブルクドルフとトゥーンを結ぶ路線で、1899年にブラウンのシステム(当時はボベリと共同でブラウン・ボベリを経営)を導入した。30 tの機関車には2台の150馬力の電動機が搭載されていた。ハンガリー・ブダペストのガンツ社のカンドー・カールマーンはアメリカのウェスティングハウスと共同で電気機械式の変換装置 (en) を開発し、単相交流で三相交流電動機を駆動できるようにし、必要な電線の本数を減らすことに成功した。 ヨーロッパでの鉄道の電化は当初、山岳部に集中した。山岳部では石炭の供給が難しいが水力発電はすぐにも可能で、急勾配な路線には電気機関車の方が適していたためである。なお、2011年時点では山岳部の多いスイスの鉄道はほぼ完全に電化されている。 短区間でなく一つの幹線全体を世界で初めて電化したのはイタリアで、カンドー・カールマーン率いるガンツ社のチームが設計したウェスティングハウスのシステムを使用した。この全長106kmのヴァルテッリーナ線は1902年9月4日に開業し、3,000V・15Hzの三相交流を使っていた。電圧は従来のものより遥かに高く、電動機や切り替え装置なども全く新たに設計する必要があった。このイタリアの路線の電化の際、電力供給をどのような定格にすべきかを決めるための試験が行われている。一部区間では3,600Vで16.6Hzの三相交流、別の区間では1,500Vの直流、さらに3,000Vの直流、10,000V・50Hzの交流などが試された。1930年代にはイタリア全土で3000Vの直流送電システムが採用された(ただし、その後もフランスに近い地域では1500Vの直流を使い、高速鉄道の多くは25000V・50Hzの交流を採用している)。 ニューヨーク市でも鉄道が市内に入るところにはトンネルがあり、蒸気機関の煙がそこでも問題視されていた。1902年にパークアベニュートンネルで衝突事故が起き、ニューヨーク州政府はハーレム川より南への煙を出す機関車の乗り入れを1908年7月1日以降禁止することとした。これを受けてニューヨーク・セントラル鉄道は1904年に電気機関車の導入を開始した。ニューヨーク市の規制を受けて電気機関車を導入していたペンシルバニア鉄道は、1930年代にハリスバーグ以東の路線も電化した。 アメリカで最後に建設された大陸横断鉄道であるミルウォーキー鉄道は、1915年からロッキー山脈と太平洋岸の路線の電化に着手した。東海岸のバージニアン鉄道やノーフォーク・アンド・ウェスタン鉄道といった鉄道では、山岳部の一部区間のみ電化するという方式が採用された。この時代のアメリカ合衆国における鉄道の電化は主に都市部の路面電車が中心であり、開発の中心は電化が広範囲に及びつつあったヨーロッパに移った。 1923年、カンドーの設計に基づく単相 - 三相変換機を使った電気機関車がハンガリーで建造され、すぐに大量生産が始まった。これは、単相交流を機関車内で三相交流に変換するものである。この方式に基づいてブダペストからウィーンまでを結ぶ鉄道が建設された。 1960年代には東欧を含むほとんどのヨーロッパの幹線鉄道が電化された。ヨーロッパの電気機関車の技術は1920年代以降着実に改良を重ねていった。重量240 tのミルウォーキー鉄道EP-2型電気機関車(1918年)は、出力3,330 kWで最高速度112 km/hだった。一方ドイツの E 18(1935年)は2,800 kWだが重量は108 tで、最高速度は150 km/hとなっている。1955年3月29日、フランス国鉄CC7100形電気機関車がボルドー近郊で最高速度331 km/hを達成した。1960年に導入された スウェーデン国鉄Dm3形電気機関車は出力7,200 kWを、1972年のスイス国鉄Re620形電気機関車は重量120 tで7,850 kWを記録している。そして1960年代には旅客列車を最高速度200 km/hで牽引することが可能な機関車がドイツとフランス両国で同時期に登場した。さらなる改良は電子制御システムの導入によるもので、より軽量かつ強力な電動機が使えるようになっていった。 2006年9月2日、オーストリア連邦鉄道の1216形「タウルス」の050号機がドイツの高速新線で357 km/hの最高速度記録を樹立した。
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