電気機関車の導入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 03:42 UTC 版)
「日本の電気機関車史」の記事における「電気機関車の導入」の解説
日本に限らず、鉄道の電化は路面電車などの都市交通か蒸気機関車が使えない鉱山などを対象にまず行われたが、後には蒸気機関車を従来用いていた路線でも、それが行われるようになっている。 日本における一番古い電気機関車の情報も営業運転ではなく 阿仁鉱山で明治22(1889)年にマインロコを導入したと当時の新聞に記載されているものだが、「電気」機関車である以上電力供給が必要なのに発電機設備の導入記録がないことから実在性には疑問が残り、実在性が確かな古い電気機関車は足尾銅山で使用されたマインロコだが、使用開始が明治26(1893)年もしくは明治28(1895)年3月以後と異説があり、前者が正しい場合は京都電気鉄道の電車導入(明治28年2月)より早いことになる。 この時使用された機関車は足尾銅山工作所がゼネラル・エレクトリック製電気機関車の図面をもとに制作したという。また、1899年に中央線の笹子トンネル建設工事で、2両の電気機関車が掘り出された土砂の運搬用として使用された記録がある。この機関車は、アメリカのボールドウィン・ロコモティブ・ワークス製の直流500V、軌間762mm、車軸配置B、重量5.4t、出力15PSの小型機であった。笹子トンネルの工事終了後は、他のトンネル工事に使われたようであるが、その後の経歴は不詳である。また、1903年には九州の官営八幡製鐵所構内鉄道で「骸炭(コークス)運搬電車」としてE1と称するドイツ・アルゲマイネ社製B型電気機関車が導入されている。これは現存する銚子電鉄デキ3形電気機関車に類似の1,067mm軌間用凸型機で、当初よりローラー付き菱枠パンタグラフを搭載する、先進的な設計の機関車であった。八幡製鉄所では以後、E2(1908年)・E3(1916年)と同型機が順次輸入され、さらに1921年には安川電機製のデッドコピー機であるE4が導入されている。 私鉄では1912年に路線を電化して電車運転を行っていた大阪高野鉄道(後の南海高野線)が、1916年に電気機関車を導入した。この機関車は初の日本製電気機関車である。木造凸型車体で1922年までに自社工場で5両が製造された。最初の1両は台車や電動機、制御器などがアメリカからの輸入品であったが、アメリカが第一次世界大戦に参戦した翌1917年・1918年に増備した2両については、アメリカからの輸入が不可能なためすべての部品を日本国内で製造した。ただし、大阪高野鉄道や駿豆鉄道(1921年導入・雨宮製作所製)が導入したこれら初期の本線用電気機関車は電車用の電気機器を使用するものであり、大型・大電力用の制御装置や大出力主電動機などの電気機関車独自技術を反映させたものではない。また、それらの日本製機器もすべてアメリカあるいはイギリス製の機器のデッドコピー品である。 なお、国鉄における電気機関車導入はかなり遅く、明治45(1912)年に煙害が深刻な信越本線の碓氷峠のアプト式の歯条レール区間(横川駅 - 軽井沢駅を電化したのが最初で、明治39(1906)年の電車の使用開始から6年後の事であった。この10000形(後のEC40形)は本線においてはトンネル断面の小ささから第三軌条集電方式を使用し、駅構内では感電の危険性があることから架線集電を採用していたため、架線・第三軌条両方の方式に対応できるものとなっていた。この電気機関車の威力は大きく、碓氷峠区間の所要時間はそれまでの1時間15分から49分に短縮された。 国鉄ではその後碓氷峠用として、1919年に10000形の機構を模倣・4動軸化した国産機の10020形(後のED40形)を増備している。
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