アゼルバイジャン独立後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 18:23 UTC 版)
「アゼルバイジャン鉄道」の記事における「アゼルバイジャン独立後」の解説
ソビエト連邦の崩壊後のナゴルノ・カラバフ戦争により、ナゴルノ・カラバフを含むアルメニアに占領された地域の鉄道(総延長240.4km)が寸断され、両国間の国際列車も運行が休止された。その結果、アゼルバイジャン本土とナヒチェヴァンの間の鉄道での移動は不可能になったほか、イランからナヒチェヴァンを経てアゼルバイジャン本土へ向かう列車も廃止された。これに伴いイランからアゼルバイジャンへの列車はナヒチェヴァンにのみ運行されている。他の国際列車はロシアおよびジョージアとの間に存在する。 貨物輸送ではカスピ海沿岸のバクーから黒海沿岸のバトゥミまで石油輸送が行われている。アゼルバイジャン鉄道の重要な資金源にもなっており、1999年には貨物輸送が全体の収益の21%を占めた。 2017年10月30日にはトルコ、ジョージア、アゼルバイジャンの3カ国を結ぶバクー=トビリシ=カルス鉄道が開通した。アゼルバイジャン領内では新線建設は行われないものの、老朽化した設備の近代化が進められている。2015年にはシュタッドラー・レール社製の二階建て車両"KISS"が導入されたほか、同年には貨物向けにアルストム社製のKZ8A電気機関車の導入も開始された。
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