専用機関車導入計画とその挫折
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 08:10 UTC 版)
「黒潮号」の記事における「専用機関車導入計画とその挫折」の解説
黒潮号ほか南紀直通列車の牽引には、モタ300形またはモヨ100形電車が2両ないし3両程度充当されていたが、電車は紀勢西線内に直通できず、東和歌山以南の輸送力がそれだけ減少することになった。また東和歌山駅では、直通客車と電車・蒸気機関車の連結・解放による複雑な入れ替え作業で時間を要したため、阪和電鉄線での高速運転による時間短縮効果が相殺されてしまった。 このため、頭端式でホーム有効長が限られる阪和天王寺駅の施設を極力有効活用しつつ、南紀直通列車の実質的な輸送力を拡大する方策が模索された。その過程で、阪和電気鉄道が自社で専用蒸気機関車を保有して紀勢線直通列車牽引に充てるプランが浮上し、阪和電気鉄道と車両メーカーである汽車製造との間で真剣に検討された。 残された計画図によれば検討された機関車は、当時鉄道省が亜幹線向けの旅客用制式機関車として量産を始めていたC57形蒸気機関車を元に、半流線型のケーシングを被せた様な形状とした軸配列2C1(パシフィック形)の過熱式テンダ機関車であった。もっとも、この計画は、給水・保守面での問題と、その後の輸送状況の変化によって、最終的に放棄されている。 南紀直通列車の専用牽引機関車導入案は、阪和電気鉄道が1940年に南海鉄道へ合併された後にも浮上した。従来、阪和と南海の両社線から直通していた南紀直通客車運用が山手線(旧阪和電気鉄道線)に一本化され、山手線ではこれまで以上の輸送力強化が求められた。しかし、このころから戦時下における資材難に伴って車両故障が多発するようになっていた。従来南紀直通列車を牽引してきた大出力電車についても主電動機故障の多発に対処しきれず、客車牽引可能な電車の確保に困難を来すようになった。 南海鉄道ではこのような問題の解決策として、鉄道省に大型電気機関車EF51形の払い下げを申請・陳情したが、当時は国鉄も機関車不足の状態で、要望は実現しなかった。 そこで南海は窮余の策として、旅客列車牽引用電気機関車「ED1500形」の新規製作認可を申請することになる。併せて在来型の貨物列車用機関車ロコ1000形ほかの増備も目論まれ、1942年5月13日付で、ED1500形1501 - 1503号機、ロコ1000形1005・1006号機ほかの車両製作認可申請を提出している。 もっとも、ED1500形の投入について南海鉄道が実現にどの程度前向きであったかは不明である。むしろ本命と言うべきは貨物用電気機関車の増備認可獲得で、申請直前の時期に落雷事故でロコ1003が使用不能となるなど、当時の山手線貨物用機関車の不足状況が背景にあった。とはいえこの史実は、専用電気機関車の導入を企図されるに値する需要が戦時下においてもなお南紀直通列車に存在したことの例証とも言えるであろう。 結局ED1500形の導入案は、戦時下における観光・遊覧旅行を著しく制限する当局の政策と、これに伴う南紀直通列車の廃止でその必要性が無くなり、頓挫している。
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