主な経歴と賞
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1932年 東京都に生まれる 1955年 東京藝術大学建築科卒。髙島屋の宣伝部に入ったが、そのとき制作した「LP JACKET」が1955年第5回日本宣伝美術賞を受賞し、約半年で独立 1960年 東京で開催された「世界デザイン会議」にパネリストとして参加 1960年 東京オリンピック(1964年)のシンボルマーク指名コンペ6人の中に選ばれる(亀倉雄策が入選) 1961年 東京画廊のカタログデザイン始まる 1961年 「音楽会ポスターを中心とする一連のグラフィックデザイン」によって第7回毎日産業デザイン賞(現毎日デザイン賞)受賞 1964年 ドイツ・ウルム造形大学に客員教授として招聘される(〜65年にかけて3ヶ月。66〜67年にも1年間招聘される) 1968年 ロンドンICAギャラリーで開催された日本現代美術展「蛍光菊」(Florescent Chrysanthemum)の会場構成、アートディレクション 1968年 東京造形大学視覚デザイン科で教鞭をとる 1968年 第4回造本装幀コンクールで最高賞の文部大臣賞受賞(『日本産魚類脳図譜』築地書館) 1969年 第5回造本装幀コンクールで文部大臣賞を連続受賞(『雲根志』築地書館) 1971年 第2回講談社出版文化賞ブックデザイン賞受賞(『闇のなかの黒い馬』河出書房新社) 1973年 第8回造本装幀コンクールで3度目の文部大臣賞受賞(『日夏耿之介全集』河出書房新社) 1972年 ユネスコ・東京出版センター(現ユネスコ・アジア文化センター)から依頼を受け、アジア活字開発調査のため、タイ、インド、インドネシアなどアジア諸国を初めて訪問 1972年 NHKの委嘱で、イタリア賞参加映像作品「In Motion」を武満徹と共同制作(主演はツトム・ヤマシタ) 1977年 第12回造本装幀コンクールで4度目となる文部大臣賞受賞(『伝真言院両界曼荼羅』平凡社) 1978年 パリ装飾美術館で開かれた「間=MA」展にポスター・カタログデザインで参加(企画構成=磯崎新ほか) 1979年 「京劇」訪日公演企画、斬新なスタイルを取り入れたカタログをデザイン 1980年 高野山大学と毎日新聞社のラダック仏教美術調査・取材隊に同行し、その成果は「マンダラ 出現と消滅」展企画構成に結実(西武美術館、毎日新聞社ほか主催) 1981年 「熱きアジアの仮面」展(国際交流基金ほか)、インド仮面舞踏「神々の跳梁」などを展示構成・デザイン 1982年 「アジアの宇宙観+マンダラ」展(国際交流基金)を企画構成 1982年 ブータン王国切手デザインの依頼を受け、同国を取材旅行 1982年 文化庁芸術選奨新人賞受賞 1982年 ライプツィヒ装幀コンクール特別名誉賞受賞(『伝真言院両界曼荼羅』) 1985年 インドIIT, IDC(インド工科大学産業デザイン研究所)においてデザイン・ワークショップ開催 1987年 神戸芸術工科大学視覚情報デザイン学科教授に就任(〜2002年) 1987年 インド古典音楽「ラーガ・香絃花」コンサートを企画 1992年 「花宇宙・生命樹」展企画構成とカタログデザイン(国際交流基金ほか主催) 1997年 毎日芸術賞受賞(毎日新聞社) 1997年 紫綬褒章を受章 2004年 雑誌デザインの集大成「疾風迅雷」展(東京、ギンザ・グラフィック・ギャラリーほか)とその作品集デザイン(DNPグラフィックデザイン・アーカイブ)。「疾風迅雷」展は2005年に韓国のパジュ、2006年に中国の北京、深圳、2007年以降、南京、成都ほか中国各地を巡回 2005年 織部賞受賞(岐阜県主催) 2006年 高野山大学の委嘱で、5面スクリーンによる映像作品「法界宇宙」を制作 2007年 「マンダラ発光──杉浦康平のマンダラ造本宇宙」展開催(クリエイティブワールドライブ2007実行委員会、東京国際フォーラム)とその作品集デザイン 2009年 中島健蔵賞特別賞受賞(現代音楽への貢献) 2010年 神戸芸術工科大学アジアンデザイン(RIAD)所長に就任 2010年 アジアンデザイン研究所第1回国際シンポジウム「動く山・山車──あの世とこの世を結ぶもの」を企画・開催 2011年 ブックデザインの集大成「杉浦康平・脈動する本」展開催(武蔵野美術大学美術館・図書館)とその作品集デザイン 2019年 旭日小綬章受章 2021年 杉浦康平デザインアーカイブ(武蔵野美術大学 美術館・図書館所蔵)特設ウェブサイト「デザイン・コスモス」公開
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