ワット・プラ・シーサンペットとは? わかりやすく解説

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ワット‐プラシーサンペット【Wat Phra Sri Sanphet】

読み方:わっとぷらしーさんぺっと

タイ中部古都アユタヤにある仏教寺院アユタヤ朝守護寺院であり、第9代トライローカナート時代1448年建立。王と王子らの遺骨納めた三つ仏塔がある。本堂には高さ16メートル黄金仏像があったが、ビルマ侵略の際に破壊された。


ワット・プラシーサンペット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 01:36 UTC 版)

วัดพระศรีสรรเพชญ์
ワット・プラシーサンペットの三仏塔
所在地 アユタヤ県アユタヤ
備考 廃寺

ワット・プラシーサンペットタイアユタヤ県アユタヤ市にあるアユタヤの王の遺骨を納めた3本の仏塔を含む仏教的施設である。

歴史

夕暮れ前のワット・プラシーサンペット

名称にはワット(寺)と冠しているが、実際は寺院ではない。名称は御吉祥活仏寺院程度の意味である。この寺院に建つお寺は、歴代のアユタヤ王朝の王の内3人の遺骨が納められているが、アユタヤの王が仏と同一視されたのでこの名前がある。

伝説によればこの地には元々、アユタヤ王朝の創設者・ラーマーティボーディー1世(即位・1351 - 69年)によって宮殿が建てられていたとする。後のトライローカナート(即位・1448 - 88年)の時代になると宮殿が移築され、この地は王専用の仏教儀式の場となったという。

さらに時代は下り、ラーマーティボーディー2世1491 - 29年)の時代、現存する仏塔のうち東側の2つが建てられ、それぞれラーマーティボーディー2世の父であるトライローカナート王、前述・ラーマーティボーディー2世の兄であるボーロマラーチャーティラート3世の遺骨がそれぞれ納められた。この後、ラーマーティボーディー2世が崩御すると3つ目の仏塔が建てられ、その遺骨が納められた。

大きな破壊を受けた他の仏塔遺跡と比べ、漆喰などが当時の状態をよく保存しているため、アユタヤ時代の建築がそのまま見ることの出来る貴重な遺跡である。

関連項目

参考文献

  • คู่มือเรียนรู้: กรุงศรีอยุธยา, ธวัชชัย องค์วุฒิเวทย์ และ วิไลรัตน์ ยังรอด, เรียบเรียง. กรุงเทพฯ: สำนักพิมพ์มิวเซียมเพรส, 2546, pp.60-61 ISBN 974-91704-8-2
  • มานพ ถนอมศรี: อยุธยา: เมืองประวัติศาสตร์ มรดกโลก, กรุงเทพฯ: พี พี เวิลด์ มีเดีย, 2547, pp.140-160 ISBN 974-91333-6-6

座標: 北緯14度21分21秒 東経100度33分30秒 / 北緯14.35583度 東経100.55833度 / 14.35583; 100.55833



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