レンブラント研究プロジェクト
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「レンブラント・ファン・レイン」の記事における「レンブラント研究プロジェクト」の解説
20世紀初頭、レンブラントの作品は約1000点が伝わっていたが、それらには常に真贋問題がつきまとっていた。中には2枚の真作エッチングを合成して1枚の贋作を作った例まであった。1968年、オランダの応用化学研究機構 (Netherlands Organization for the Advancement of Scientific Research, TNO) が出資したレンブラント研究プロジェクト(en)が立ち上げられた。数々の作品をレンブラントの真筆とする信頼できる再評価を下すため、美術史家班は他分野の専門家からの協力を得て、最先端の技術診断を含む可能な限りの手段を用い、彼の絵画を収めた新しいカタログ・レゾネを完成させようとした。 パネルの年輪年代学や他の物理・化学的分析ではほとんど贋作判定はできず、逆に18-19世紀の絵ではと考えられていたものが17世紀の絵だと判明するケースもあった。威力を発揮した手法は、X線撮影によって下絵から書き進む段階を明瞭にし、それらを基に図像学や美術史家が考証を行うという分析であった。絵の具の塗り方にむらや不必要な筆跡などが多く見られるものはレンブラント風を意図的に作ろうとしたものであったり、また下書きがまだ乾かないうちに本塗りがされたために不規則なひびが入っているものなどが贋作判定の例となった。これらを通じ、彼の真作による絵画は約300に絞られた。ただし、この判断には段階が設けられ、「真作の可能性が高い (very likely authentic)」「真作の可能性がある (possibly authentic)」「真作の可能性が低い (unlikely to be authentic)」という評価がそれぞれに与えられている。 例えば、ニューヨークフリック・コレクションの『ポーランドの騎手』は以前からジュリウス・ヘルドら多くの学者によって信憑性に疑問が呈され、研究プロジェクトのジョシュア・ブリュン博士もレンブラントの最も才能溢れながらあまり知られていない門下生ウィレム・ドロステの作品だと考えた。蒐集したヘンリー・フリックは、視認できるサイン「Rembrandt」(レンブラント)の前には、「attributed to」(…の所有物)も「school of」(…門下)も見えないとして、自身の意見を変えることはなかった。その後、サイモン・シャーマ(en)は1999年の著作『レンブラントの目』でフリックを支持し、プロジェクトのエルンスト・ファン・デ・ウェテリンク教授も1997年のメルボルン・シンポジウムで真作説に賛同の意を述べた。多くの学者は、出来栄えが不規則である点から、各部分を複数の人物が描いたものという意見を受け入れている。 『手を洗うピラト』もまた疑いを持たれた作品である。これは1905年には疑問が呈されており、ヴィルヘルム・フォン・ボーデはこの作品を指してレンブラントにしては「どこかおかしな仕事」と述べた。科学的な分析が1960年代から行われ、これはいずれかの弟子、おそらくはアレント・デ・ヘルダーが描いたものと推測された。構成こそ表面的にはレンブラントの作品との類似性を帯びているが、特徴である明暗やモールディング技法の表現性には欠けていた。 レンブラントの版画は一般にエッチングと纏められているが、ほとんどはエングレービングであり一部にドライポイントがある。これらの真作は300点を下回った。レンブラントは生涯に2000以上の素描を残したと伝わるが、現存する点数はこれを下回る。二組の専門家チームの発表によると、署名の状態から確かに彼の絵画であると言い切れるものは約75点にとどまるというが、これは議論の的となっている。このリストは、2010年2月に行われた学術会議で公表された。 レンブラントの自画像は90点あると考えられていたが、後に練習のために弟子に模写させたものが含まれていることが分かった。現在では40数点の絵画と若干数の素描、そして31点のエッチングと学術的に判断され、外されたものの中には代表作と見なされていた作品もあった。 その後も真贋判定は続けられている。2005年、弟子作と考えられていた4点の油彩がレンブラント本人の作品という判定がなされた。これらは『Study of an Old Man in Profile』『Study of an Old Man with a Beard』(2点ともアメリカの個人が所有)、『Portrait of an Elderly Woman in a White Bonnet』(1640年作)、『Study of a Weeping Woman』(デトロイト美術館蔵)である。 レンブラント工房の体制が真贋判定の難しさを生んでいる。先人の工房も同様ではあるが、レンブラントは弟子たちに彼の絵をよく模写させた。そしてそれらに仕上げや修正を施し、真作または正式な複製として販売していた。さらに、レンブラントの絵画形式は決して難しいものではなく、才能ある弟子ならば模倣が可能であった。さらにこの問題を複雑にした背景には、レンブラント自身の製作には品質的にぶれがあり、また頻繁に絵画形式を変化させたり実験を試みたりしたことがある。彼の作品には後に贋作が作られることがあった。また、真作の中にもひどい損傷を被ったものもあり、本来の状態をよもや認識できない作品もある。
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