プロレス業界による黙殺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 02:36 UTC 版)
「流血の魔術 最強の演技」の記事における「プロレス業界による黙殺」の解説
出版当初、プロレス団体やプロレスラー、プロレスマスコミの大半は本書を黙殺した。井上譲二によると、プロレスラーは一部が「要領の得ないコメントを口にするだけ」で、団体幹部は軒並み沈黙した。もっとも、オフレコでは「『高橋の野郎!』といった威勢のよい言葉」が聞かれたという。出版当時新日本プロレスの取締役を務めていた永島勝司は、当時の団体内の反応について、"この本によってプロレス界がダメージを受けるのでは?"との認識はまったくと言っていいほどなく、アントニオ猪木以下「放置すべし」という意見が大勢を占めていたと述べている。一方、当時新日本プロレスのレフェリーを務めていた田山正雄によると、団体内で本書に関する箝口令が敷かれたという。新日本プロレスの関係者が沈黙したことについてストロング小林は、2006年発行の『吉田豪のセメント!!スーパースター列伝 パート1』において、「当事者のレスラーがコメントしなきゃ収まりがつかないよね」と何らかのコメントをするよう促す発言をしている。また、新間寿は「プロレスの世界に生きていたら、こういう本に対し反発もせずにね、無視していいのか?この世界は都合の悪いことは、みんな無視ですよ」、「あんなこと書かれてアントニオ猪木を守りたいなら、新日本プロレスには広報もあるんだし、正式なコメントを出さないと」と業界の姿勢を批判した。吉田豪は、本書出版直後にミスター高橋が「最近、無言電話が多くて」と愚痴をこぼしたことを引合いに出し、「ちょっとマット界が無言電話になりすぎている」と苦言を呈した。一方、長州力は後述のように「そんなもん、あれが初めてじゃねえじゃん。過去に何回も出てんじゃん」という理由を挙げて反論を行わなかったことを正当化している。また、宮戸優光は後述のように高橋を「なにもわかっていない大ドジ」、本書を「非常に度の狂った、色のついた眼鏡」。と評した上で、「どうせとんちんかんな本だから、そんなのまともに答える必要はないと思いますけどね」と述べている。 ターザン山本は吉田豪との対談の中で「興行を打つ側にはマイナスだけども、我々マスコミの側には経済効果になっているよね」と述べ、吉田も「経済効果にもなっているだろうし、とにかく原稿が書きやすくてしょうがない部分がありますよね」、「誰かがこういう本を書いてくれると、本当に楽なんですよ」と応じている。吉田によると本書出版以降、「高橋さんの発言を引用しつつ『ここまで出てしまった以上は言わせてもらうが……』という感じで、批判するにしても、本当にやりやすい」のだという。吉田は、本書出版以前は「一般の本でプロレスの仕組みを書いている本」を「こんなこと書きやがって!」と引用しつつ批判するという手法で「みんなにプロレスの仕組みを知らしめ」ていたと告白している。 プロレスマスコミは、『紙のプロレス』が高橋のインタビュー記事を掲載したものの、『週刊プロレス』、『週刊ゴング』、『週刊ファイト』『レジャーニューズ』、『内外タイムス』は黙殺を通した。『内外タイムス』では同書に関する記事を1面に掲載する動きもあったが、プロレス団体からの取材拒否を恐れる現場記者の「懇願」により、断念されたという。高橋は日本のプロレス業界およびプロレスマスコミの多くが本書を黙殺し続けたことが、「日本のプロレスがいい方向に変わっていかなかった理由の一つになっているのも間違いない」と指摘している。『週刊ファイト』元編集長の井上義啓は、本書の内容は「もう(オレが)それとなく書いている」、「ほとんどの人は知ってる」事柄であり、仮に自身が編集長だったとしても「今のマスコミと同じような態度をとると思うよ」とプロレスマスコミの姿勢を支持した。 プロレスマスコミが本書を黙殺したことについて、当時『週刊ゴング』編集長であった金澤克彦は、本書の出版と時期を同じくしてプロレス専門誌の部数が落ち込んだと指摘し、「あのとき、無視せず戦うべきだったといまは思いますね」と述べている。一方当時『週刊ファイト』編集長であった井上譲二は、「高橋本と交わらないという選択肢以外、思いつかなかった」、「私はいまでも、反論したところでヤブヘビになるだけだったと考える」としつつ、「この本がプロレス界に与える影響について、私は軽視していた」、「この本の意味について、インターネット上で騒然となっていることは知っていたが、日々の業務に忙殺され……業界に訪れている激動を正確に把握していなかった」、「その後これほど『ファイト』の実売部数が落ちると分かっていれば、静観することはなかったかもしれない」とも述べている。吉田豪は井上のこうした姿勢を、『週刊ファイト』が長年「マット界の暴露新聞」として活動してきたと指摘しつつ、「書かないと『ファイト』じゃない」と批判した。 プロレスマスコミの中ではターザン山本が高橋に対する反論・批判を内容とする書籍を出版したが、井上によると「まったく売れなかった」(井上は、「日頃から『売れなきゃ意味がない』と言う山本氏は、その意味で高橋氏に完敗である」とも述べている)。一方で井上によると、専門誌の記者の中には本書出版後相次いで発売された「暴露本」の執筆に密かに加わる者もいた。 高橋は本書出版から9年後の2010年に発行された『流血の魔術 第2幕 プロレスは誇るべきエンターテインメント』において、2008年公開の映画『レスラー』において試合前の打ち合わせばかりでなく「試合中の流血を演出するためにカミソリで額を切っている場面までもがアップで映されている」ことを例に挙げ、「プロレスがショーであることは、すでに公然の事実となって」おり、「もはやプロレスのカミングアウト云々と議論する必要もなくなっている」断じた上で、日本のプロレス界について以下のように述べている。 私が望んでいたような前向きな変革はほとんど見られない。そしてプロレス人気は低迷を続けるばかりになっているのだから、このままでは、私自身がどんな苦境に立たされることも覚悟をしたうえで、『流血の魔術~』執筆に踏み切った意味がない。 — 高橋2010、22頁。 井上譲二は、2010年発行の『「つくりごと」の世界に生きて プロレス記者という人生』において、本書について以下のように述べている。 時は流れ、ミスター高橋本の出版から10年目に入ろうとしている。私は、この本の功も罪もすでに時効だと考えている。すでに当時と時代状況も違う。プロレス界は、新しいファンに目を向けるだけでいい。 — 井上2010、137頁。
※この「プロレス業界による黙殺」の解説は、「流血の魔術 最強の演技」の解説の一部です。
「プロレス業界による黙殺」を含む「流血の魔術 最強の演技」の記事については、「流血の魔術 最強の演技」の概要を参照ください。
- プロレス業界による黙殺のページへのリンク