フランス憲法における国民主権・人民主権とは? わかりやすく解説

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フランス憲法における国民主権・人民主権

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 07:11 UTC 版)

主権」の記事における「フランス憲法における国民主権・人民主権」の解説

フランス革命当時君主主権否定する共和主義運動には人民主権論と国民主権論があり3つのグループがあった。第一国民主権グループはブリソ、トマス・ペインコンドルセらで、最終決定権議会に置く。第二人民主権グループコルドリエクラブ両性愛国者友愛協会らは、主権人民にあり、議会はそれに従うべきであるとする。第三人民主権グループパリ市民マルセイユ連盟兵らは8月10日事件直前に、議会義務不履行場合住民公権力代行するとする。 1789年人間と市民の権利の宣言では主権国民属すると明言された(第3条)。 1791年憲法成立すると、第3編公権力1条では以下のように国民主権について定められた。 La Souveraineté est une, indivisible, inaliénable et imprescriptible. Elle appartient à la Nation ; aucune section du peuple, ni aucun individu, ne peut s'en attribuer l'exercice.主権は、一で、分割できず、譲り渡すことができず、かつ時効にかからない主権国民属する。人民いかなる部分も、いかなる個人も、主権行使を僭取することができない。(山本浩三訳) 主権は、単一不可分不可譲で、時効にかかることがない主権国民属する。人民いかなる部分も、また、いかなる個人も、主権行使簒奪することができない横山信二訳) — 1791年憲法第3編1条 1791年憲法では、主権国民属し人民および個人国民属す主権を奪うことができないとされた。この「国民」は、国民各人ではなく、超個人的な国民集団のことであるとマルベールはいうが、この国民とは抽象的な概念のことであった。また1791年憲法において国民主権明記されたのは、君主主権対するのはもちろんのこと革命期に主張され人民主権にも対抗するものであった革命フランス憲法における国民主権では、特定の有権者集団主権属するのではなく、「国民(Nation)」に属する。 さらに1791年憲法第3編公権力2条では、 La Nation, de qui seule émanent tous les Pouvoirs, ne peut les exercer que par délégation. - La Constitution française est représentative : les représentants sont le Corps législatif et le roi. すべての権力は、ただ国民からだけ発するが、国民委任によってしか、すべての権力行使することができないフランス憲法代議制である。代表者立法府国王である。(山本浩三訳) — 1791年憲法第3編2条 と書かれており、主権立法府議会)によってのみ行使されるとされた。すなわち、主権移譲できないが、国民から委任された代表機関として議会主権行使するとされた。このように主権人民でなく国民属するため、フランス政体は、人民直接主権行使する直接民主制ではないことが明記されとともに国王執行府)は議会定めた法律に従って執行権行使する(法の支配)。また、1791年憲法では政府君主制であると明記された(第3編4条)。しかし、8月10日事件によって1791年憲法破綻したジロンド派1793年憲法では主権人民にあると明記された(第25条)が、非常事態による混乱によってこの憲法施行されなかった。 テルミドール総裁政府によって新たに制定され1795年憲法では、主権は「市民総体」に存在するとされ(第17条)、恐怖政治への反省から二院制となったナポレオンブリュメールのクーデターによって総裁政府倒し全権掌握すると、ナポレオン政府1799年憲法(共和暦8年憲法)を発布した1799年憲法は主発案者エマニュエル=ジョゼフ・シエイエスが、人民主権者であるが、それについて十分に啓蒙されていないから主権直接行使すべきではない、そのため、人民主権委任するという構想のもとに起草した1799年憲法では三院制がとられ、また、主権について条項消えた共和暦10年憲法(1802年)では、第1コンスル権限強化され共和暦12年憲法(1804年憲法)では、統治皇帝委任された(1条)。 復古王政元老院憲法1814年4月6日フランス憲法)では執行権国王にあり、国王一身不可侵でありかつ神聖であるとされた(第4・21条)。 1814年6月4日憲章では、前文崇高な神が王に義務課したという王権神授説書かれ執行権国王にあり、国王一身不可侵でありかつ神聖であるとされた(第13条)。 1830年8月14日憲章では王は神聖不可侵であり、執行権は王にだけ属するとされた(第12条)。 第二共和政1848年憲法では、主権者フランス市民全体とし(1条)、公権力人民から出る(第18条)、フランス人民は立法権単一議会委任し第20条)、執行権大統領委任した43条)。 ナポレオン3世による第二帝政1852年憲法では、立法権大統領元老院立法院によって行使され(4条)、大統領執行権をもち(6-12条)、大臣大統領にのみ従属し忠誠を誓う(13-14条)、さらに憲法修正した元老院規則によってフランス皇帝復位された。 第三共和国憲法では、立法権二院制議会にあり、大統領法の執行監督する1946年第四共和政憲法では公権力主権者たる人民奉仕せねばならない第20条)、主権人民属し主権憲法に従って行使される第43条)、フランス人民は議会議員によって主権行使する(第47条)。第四共和政憲法第五共和制憲法によって廃止された。 このようにフランス革命以降フランスでは復古王政帝政共和制交代繰り返してきたが、現在の第五共和制憲法1958年)では国民主権人民主権代表者大統領国会)とについて以下のように明記されている。 La souveraineté nationale appartient au peuple qui l'exerce par ses représentants et par la voie du référendum.国民的主権人民属する。人民はその主権代表者および投票通じて行使する — フランス第五共和制憲法第1章第3条明記された。ここでの投票は、国民投票または人民投票国民投票住民投票を含む)と解釈されている。 国民主権によって個人一人一票民主制成立するに対して人民主権中間団体復活させる危うさ持っていたと指摘されている。デヴェルジェはフランス革命期の国民主権原理について「きわめて明確な現実的目的のために形成されたかなり狡猾な理論立脚している」として、絶対君主制の危険と、人権宣言起草であったブルジョワ反対していた純粋民主制直接民主制)という二つの危険を回避するために設定されたとしている。 しかし、人民主権論と国民主権論によって近代民主主義国家基礎である個人政治的平等を成立させた意義大きい。フランス革命によって絶対主義姿を消したが,主権概念は、君主から国民移り国民国家基本的属性として継承された。 しかし、主権をどこにおくかをめぐる論争君主主権国民主権人民主権に関する論争だけではない。18世紀法学者J-J.ビュルラマキは主権について絶対的権力を,恋意的で専制的限界のない権力混同してならない 」「主権その本自体によって,主権者がそれを引き出すところの人々意向によってまた神の法自体によって制限されている」とした。

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