フランス憲法における国民主権・人民主権
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「主権」の記事における「フランス憲法における国民主権・人民主権」の解説
フランス革命当時、君主主権を否定する共和主義運動には人民主権論と国民主権論があり3つのグループがあった。第一の国民主権グループはブリソ、トマス・ペイン、コンドルセらで、最終決定権を議会に置く。第二の人民主権グループ、コルドリエクラブや両性愛国者友愛協会らは、主権は人民にあり、議会はそれに従うべきであるとする。第三の人民主権グループ、パリ市民やマルセイユ連盟兵らは8月10日事件の直前に、議会が義務不履行の場合、住民が公権力を代行するとする。 1789年の人間と市民の権利の宣言では主権が国民に属すると明言された(第3条)。 1791年憲法が成立すると、第3編「公権力」1条では以下のように国民主権について定められた。 La Souveraineté est une, indivisible, inaliénable et imprescriptible. Elle appartient à la Nation ; aucune section du peuple, ni aucun individu, ne peut s'en attribuer l'exercice.主権は、一で、分割できず、譲り渡すことができず、かつ時効にかからない。主権は国民に属する。人民のいかなる部分も、いかなる個人も、主権の行使を僭取することができない。(山本浩三訳) 主権は、単一、不可分、不可譲で、時効にかかることがない。 主権は国民に属する。人民のいかなる部分も、また、いかなる個人も、主権の行使を簒奪することができない(横山信二訳) — 1791年の憲法、第3編1条 1791年憲法では、主権は国民に属し、人民および個人は国民に属する主権を奪うことができないとされた。この「国民」は、国民各人ではなく、超個人的な国民集団のことであるとマルベールはいうが、この国民とは抽象的な概念のことであった。また1791年憲法において国民主権が明記されたのは、君主主権に対するのはもちろんのこと、革命期に主張された人民主権にも対抗するものであった。革命フランス憲法における国民主権では、特定の有権者や集団に主権が属するのではなく、「国民(Nation)」に属する。 さらに1791年憲法第3編「公権力」2条では、 La Nation, de qui seule émanent tous les Pouvoirs, ne peut les exercer que par délégation. - La Constitution française est représentative : les représentants sont le Corps législatif et le roi. すべての権力は、ただ国民からだけ発するが、国民は委任によってしか、すべての権力を行使することができない。フランス憲法は代議制である。代表者は立法府と国王である。(山本浩三訳) — 1791年憲法第3編2条 と書かれており、主権は立法府(議会)によってのみ行使されるとされた。すなわち、主権は移譲できないが、国民から委任された代表機関として議会は主権を行使するとされた。このように主権は人民でなく国民に属するため、フランスの政体は、人民が直接に主権を行使する直接民主制ではないことが明記されるとともに、国王(執行府)は議会が定めた法律に従って執行権を行使する(法の支配)。また、1791年憲法では政府は君主制であると明記された(第3編4条)。しかし、8月10日事件によって1791年憲法は破綻した。 ジロンド派の1793年憲法では主権が人民にあると明記された(第25条)が、非常事態による混乱によってこの憲法は施行されなかった。 テルミドール派総裁政府によって新たに制定された1795年憲法では、主権は「市民の総体」に存在するとされ(第17条)、恐怖政治への反省から二院制となった。 ナポレオンがブリュメールのクーデターによって総裁政府を倒し全権を掌握すると、ナポレオン政府は1799年憲法(共和暦8年憲法)を発布した。1799年憲法は主発案者のエマニュエル=ジョゼフ・シエイエスが、人民は主権者であるが、それについて十分に啓蒙されていないから主権を直接に行使すべきではない、そのため、人民は主権を委任するという構想のもとに起草した。1799年憲法では三院制がとられ、また、主権についての条項は消えた。 共和暦10年憲法(1802年)では、第1コンスルの権限が強化され、共和暦12年憲法(1804年憲法)では、統治は皇帝に委任された(1条)。 復古王政の元老院憲法(1814年4月6日フランス憲法)では執行権は国王にあり、国王の一身は不可侵でありかつ神聖であるとされた(第4・21条)。 1814年6月4日の憲章では、前文で崇高な神が王に義務を課したという王権神授説が書かれ、執行権は国王にあり、国王の一身は不可侵でありかつ神聖であるとされた(第13条)。 1830年8月14日憲章では王は神聖不可侵であり、執行権は王にだけ属するとされた(第12条)。 第二共和政の1848年憲法では、主権者はフランス市民全体とし(1条)、公権力は人民から出る(第18条)、フランス人民は立法権は単一議会に委任し(第20条)、執行権を大統領に委任した(43条)。 ナポレオン3世による第二帝政の1852年憲法では、立法権は大統領・元老院・立法院によって行使され(4条)、大統領は執行権をもち(6-12条)、大臣は大統領にのみ従属し忠誠を誓う(13-14条)、さらに憲法を修正した元老院規則によってフランス皇帝が復位された。 第三共和国憲法では、立法権は二院制議会にあり、大統領は法の執行を監督する。 1946年の第四共和政憲法では公権力は主権者たる人民に奉仕せねばならない(第20条)、主権は人民に属し、主権は憲法に従って行使される(第43条)、フランス人民は議会議員によって主権を行使する(第47条)。第四共和政憲法は第五共和制憲法によって廃止された。 このようにフランス革命以降のフランスでは復古王政、帝政、共和制の交代を繰り返してきたが、現在の第五共和制憲法(1958年)では国民主権と人民主権と代表者(大統領、国会)とについて以下のように明記されている。 La souveraineté nationale appartient au peuple qui l'exerce par ses représentants et par la voie du référendum.国民的主権は人民に属する。人民はその主権を代表者および投票を通じて行使する — フランス第五共和制憲法第1章第3条 と明記された。ここでの投票は、国民投票または人民投票(国民投票と住民投票を含む)と解釈されている。 国民主権によって個人と一人一票の民主制が成立するのに対して、人民主権は中間団体を復活させる危うさを持っていたと指摘されている。デヴェルジェはフランス革命期の国民主権の原理について「きわめて明確な現実的目的のために形成されたかなり狡猾な理論に立脚している」として、絶対君主制の危険と、人権宣言の 起草者であったブルジョワが反対していた純粋民主制(直接民主制)という二つの危険を回避するために設定されたとしている。 しかし、人民主権論と国民主権論によって近代民主主義国家の基礎である個人と政治的平等を成立させた意義は大きい。フランス革命によって絶対主義は姿を消したが,主権概念は、君主から国民へ移り、国民国家の基本的属性として継承された。 しかし、主権をどこにおくかをめぐる論争は君主主権、国民主権、人民主権に関する論争だけではない。18世紀の法学者J-J.ビュルラマキは主権について「絶対的権力を,恋意的で専制的で限界のない権力と混同してはならない 」「主権はその本性自体によって,主権者がそれを引き出すところの人々の意向によってまた神の法自体によって制限されている」とした。
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