フランス情報部
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「マリアン・レイェフスキ」の記事における「フランス情報部」の解説
このヘッダーの文字の順列は、入口ローター、暗号化ローター、反転ローター、プラグボードを流れる電気信号を表すたくさんの未知数を含む方程式の形で書くことができた。しかしある時期、未知数が非常に多いことに関係して、レイェフスキの方程式がとてもに複雑なものになってしまった。1930年にレイェフスキが語ったところによれば、これらの方程式のほとんどは追加のデータがなければ解を与えないものだったという。フランス情報部の一部門、ギュスターヴ・ベルトラン少佐に率いられた第2局は、このようなデータを、暗号名「アッシュ」の名で呼ばれていたハンス=ティロ・シュミットより入手し、これはポーランド側に引き渡された。フランスから受けとったデータには、1932年の9月と10月の分の暗号機の設定一式が含まれていた。レイェフスキはおそらく1932年12月9日か10日にこれを入手し、これを分析した結果、方程式からケーブルの接続に関係する要素を消去することができた。それ以来、未知数の少なくなった方程式が計算上の大きな問題となることは無かった。 軍で使用された暗号機のキーボード配列が、レイェフスキの持っていた商業用エニグマと違っていたことは次の問題であった。民生用のものは、通常のタイプライターのキーボード配列と同じであった(左上段がQWERTZU...となっているもの)。これらのキーはキーの並んでいる順に入力ローターにつながっており、Q → {\displaystyle \rightarrow } A, W → {\displaystyle \rightarrow } B, E → {\displaystyle \rightarrow } C というように入口ローターで変換された。軍用のものではキーがアルファベット順にならんでおり、A → {\displaystyle \rightarrow } A, B → {\displaystyle \rightarrow } B, C → {\displaystyle \rightarrow } C と言う具合に入口ローターで変換された。この民生用と軍用のキーボード配列の違いは、イギリス情報部の努力を無為にしてしまった。イギリス情報部は、軍用キーボード配列では文字が当たり前すぎる単純な変換であることに気がつかなかったのである。レイェフスキの場合、おそらく直感的に、またドイツ人の秩序立った性質を知っていたことからこの変換も考えに入れていた。レイェフスキは自身の回想録にこう書いている。「N個目のローターで接続を示す数字が、私の鉛筆から魔法のように現れ始めた。こうして、最初の正しいローターの配線を知ることができたのである」 フランス情報部により提供されたエニグマの設定情報のセットには、2ヶ月間の暗号ローター位置の変更情報が含まれていた。2ヶ月目には1番目のローターを別のものに代えることになっていた(ドイツ側は3ヶ月に1度、1番目の暗号ローターを交換していた)。最初の入力ローターと同じようにして、レイェフスキはこのローターの配線を解析した。後になって、たとえフランスが提供している資料が、暗号の交換時期を含んでいないとしても、同じ方程式を使って、次のローターの配線を解析することができるようになった。残りのローターの配線の解析は相当に簡単にできるようになっていた。実際、その年の終わりまでに残りの暗号化ローターと反転ローターの配線の解析を終えた。レイェフスキが持っていたエニグマの操作マニュアルには、ある設定における平文と暗号文の例が含まれていた。この例を使って解析が正しいかどうかを確認することができ、また配線を一意に決めることができた。 戦後、もしフランス情報部からの情報がなかったら、ローターの配線を決定することができただろうかと考える人もいた。レイェフスキ自身は1980年の回想録の中で、情報部からの情報がなくても同じ結論に行き着くことはできたであろうが、それは「正確でもなく、困難な」方法であり、かなりのレベルで偶然に頼った方法になったであろうと書いている。2005年に数学者のジョン・ローレンスが書いているところでは、4年間研究すれば成功の可能性がある程度あったであろうとしている。レイェフスキはつづけて、「情報部からの情報が、暗号機の解読を決定づけたと考えるべきである」と書いている。
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