フランス戦後、しばしの平穏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:20 UTC 版)
「エルヴィン・ロンメル」の記事における「フランス戦後、しばしの平穏」の解説
1940年夏を通じてロンメルの師団は来る(と思われていた)イギリス本土上陸作戦に備えた訓練にあたっていた。とはいえ英本土上陸にはまずドイツ空軍が英本土の制空権を握る必要があり、陸軍はそれまでは出番無しなので比較的のんびり過ごすことになった。ロンメルは勤務時間外には狩猟をしたり、戦後に出版しようと考えていた第7装甲師団の戦史書の草稿の執筆にあたっていた。 またこの頃、宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスから映画『西方における勝利』の撮影に協力してほしいと要請された。ロンメルは承諾して1940年8月中に数日を費やしてこの撮影に参加した。その際にロンメルは事実上の映画監督となり、部下やフランス植民地黒人兵たち(捕虜収容所から連れて来られた)に演技指導をしていた。ずいぶん楽しかったらしく、こだわりの演技指導をしていた。ロンメルの戦車部隊が敵陣に突入するシーンの撮影で、ロンメルは黒人たちに両手をあげて怯えた表情で戦車に向かってくるよう指示したが、黒人たちはオーバーな演技をして白目をむいて悲鳴をあげた。これに不満を感じたロンメルはカメラを止めさせ、通訳を通して黒人たちに「感情を表現するにはもっと微妙な表現方法を取らなければならない」などと説教していたという。 1941年1月1日には中将に昇進した。さらに2月には映画『西方における勝利』が公開された。この映画の公開によりロンメルは銀幕のスターになった。
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