フランス政府に対する返還要請
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:44 UTC 版)
「国立西洋美術館」の記事における「フランス政府に対する返還要請」の解説
1951年(昭和26年)のサンフランシスコ平和条約締結の際、日本国全権大使であった首相・吉田茂は、フランスの外相ロベール・シューマンに松方コレクションの返還を要請。その後の日仏政府間の交渉の結果、フランス側は条件付きで返還に応じることとなった。その条件とは、「フランスの文化財を展示するための専用の美術館で保管・展示を行うこと」、「美術品の輸送費は日本側が負担すること」、「接収されているロダンの作品『カレーの市民』は返還せず、新たに鋳造して返還し、その鋳造費は日本側が負担すること」、の3つであった。日本側が美術品の「返還」を希望したのに対し、フランス側は、美術品はいったんフランスの所有となったものであり、フランスから日本へ「寄贈」するとの立場であった。このため、国立西洋美術館では「寄贈返還」という言葉を使い、パンフレット等にも「フランス政府から寄贈返還された松方コレクション」と紹介している。なお、ゴッホの『アルルの寝室』などの名品18点は寄贈(返還)対象からはずされてフランスに残されることとなった(オルセー美術館等が所蔵)。 開館当初の「松方コレクション」は370点(絵画196点、素描80点、版画26点、彫刻63点、参考作品等5点)である。松方幸次郎本人は、こうしたいきさつを知ることなく、1950年に他界した。
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