フランス式剣術採用期(明治22年版「剣術教範」)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/19 20:11 UTC 版)
「片手軍刀術」の記事における「フランス式剣術採用期(明治22年版「剣術教範」)」の解説
大日本帝国陸軍発足後の1874年(明治7年)にフランス陸軍から体操教官として招聘されたジュクロー歩兵軍曹が、体操教育の傍ら教官や助教に「フランス式剣術」を教育したが、ジュクロー軍曹は剣術や銃剣術は専門外であったため、この時点ではフランス式剣術はあまり定着しなかった。この間、将校は日本の伝統的な剣術を自主的に錬磨し、1875年(明治8年)に軍刀がサーベル様式に定められても、これは変わらなかった。 1884年(明治17年)、陸軍戸山学校にフランス陸軍からド・ラビレー歩兵中尉とキエール砲兵軍曹を教官として招聘し、正剣術(フェンシングのフルーレに相当)、軍刀術(フェンシングのサーブルに相当)、フランス式の銃剣術が本格的に戦技として指導・研究された。ド・ラビレー中尉はフランス式剣術・銃剣術の教育を徹底するために、陸軍卿代理・西郷従道に日本式剣・槍術の訓練の廃止を建言した。これにより陸軍では日本式剣術・槍術が疎んじられるようになった。 1887年(明治20年)のフランス人教官の帰国後、1889年(明治22年)、「陸軍剣術教範」が制定・発布されたが、その内容はフランス陸軍の教範の翻訳であった。なお、武道史研究者の中村民雄によれば、このとき「防具」という語が初めて使われたという。
※この「フランス式剣術採用期(明治22年版「剣術教範」)」の解説は、「片手軍刀術」の解説の一部です。
「フランス式剣術採用期(明治22年版「剣術教範」)」を含む「片手軍刀術」の記事については、「片手軍刀術」の概要を参照ください。
- フランス式剣術採用期のページへのリンク