ピョートル1世以降のロシア帝国とは? わかりやすく解説

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ピョートル1世以降のロシア帝国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 09:51 UTC 版)

ロシアの歴史」の記事における「ピョートル1世以降のロシア帝国」の解説

ロシア動乱時代コサック助力得て終息し1613年ミハイル・ロマノフによってロマノフ朝開基した。 17世紀終わりに、ピョートル大帝即位すると、彼の強い指導力のもとロシア旧弊打破し近代国家としての装い急速に調えはじめる。まず、オスマン帝国争いアゾフ海進出、さらにスウェーデン・バルト帝国大北方戦争戦いバルト海沿岸獲得、そこを「西欧への窓」と位置付け首都サンクトペテルブルク建設し、そこを帝都とした。ピョートル大帝以後は、貴族同士争い熾烈となり、国政停滞したが、エカチェリーナ2世登場で、啓蒙主義基づいた近代化はかられた。 一方で農奴反乱プガチョフの乱」は徹底的に鎮圧した。またエカチェリーナ2世領土拡大に熱心で、いわゆるポーランド分割」をオーストリア帝国プロイセン王国とともに行いポーランド東部獲得した。 また南方でも、オスマン帝国との戦争露土戦争)などにより領土黒海沿岸クリミア半島まで拡張しただけではなくサファヴィー朝との境のコーカサス地方にも侵略、これを併合した。現在まで続くチェチェン紛争原因となる。 さらにアメリカ独立戦争にも干渉し加えてアラスカ千島にも進出しアダム・ラクスマン大黒屋光太夫とともに日本江戸幕府使者送り交易要求した日本との北方領土を巡る外交戦争の始まりでもあった。 19世紀に移ると、アレクサンドル1世フランス革命に際して対仏大同盟参加する1812年ナポレオン1世ロシア遠征に際しては、これを撃退し1814年ウィーン会議後には神聖同盟提唱し自由主義運動の封じ込め各国連携して行った次のニコライ1世のころにはデカブリストの乱起きた国内の不満をそらすために、対外戦争乗り出しギリシア独立戦争エジプト・トルコ戦争干渉し、「汎スラブ主義」の大義のもと「南下政策」を推し進めた。しかし、聖地管理権めぐってオスマン帝国との間で起こしたクリミア戦争では英仏参戦により敗北し、「南下政策」は頓挫する(東方問題)。 クリミア戦争敗北ロシア後進性を痛感したアレクサンドル2世1861年に「農奴解放令」を発布し近代化筋道をつけた。解放され農奴たちは農村小作農となり、あるいは都市流入して労働者となったロシア産業革命が進むきっかけとなる。 その一方対外政策で、清朝との間ではアイグン条約1858年に、北京条約1860年締結極東での南下政策推進した。さらに、ロシア知識人の間には社会主義社会志向するナロードニキ運動始まった。しかし、この運動農民から広い支持得られなかったことから、ニヒリズム運動の内容変質しついには1881年テロアレクサンドル2世暗殺されることになったアレクサンドル2世死去後継承したアレクサンドル3世無政府主義運動徹底的に弾圧したその後ニコライ2世治世ではヴィッテ財務大臣によるフランス外資導入による、重工業が行われた。さらにシベリア鉄道敷設行われた外交面では中央アジア舞台イギリスグレート・ゲーム演じ中央アジア進出手詰まり陥る極東での「南下政策」を展開した極東方面では清朝満洲進出し遼東半島足がかり朝鮮半島への進出企図したが、ロシア南下防止するべくイギリス日英同盟締結した日本衝突する1904年日露戦争勃発した当初ロシア帝国国力において圧倒的に優勢だったが、満州舞台行われた陸戦では奉天会戦敗北日本軍奉天進出許し海上でも極東派遣されバルチック艦隊日本海海戦で完全壊滅したため、制海権握ること出来なかった。日露戦争さなかの1905年1月22日の「血の日曜日事件」をきっかけ労働者ゼネスト頻発しロシア第1革命)、ロシア帝国体制根幹をなしてきた「皇帝専制主義ツァーリズム)」も著しく動揺した一方日本側も経済的に戦争継続困難になったため、両国手詰まり陥ったことを反映して1905年にはアメリカ合衆国仲介ポーツマス条約締結され満州利権獲得断念し南樺太日本割譲することで戦争終結した日露戦争敗北により、事実上極東での「南下政策」は失敗した日露戦争後極東諦めてバルカン半島外交政策転じたロシアイギリスフランス三国協商を結び、ドイツ帝国対立する汎スラヴ主義掲げオーストリア・ハンガリー帝国対峙するセルビア支援することで、バルカン半島における影響力維持しようとした。

※この「ピョートル1世以降のロシア帝国」の解説は、「ロシアの歴史」の解説の一部です。
「ピョートル1世以降のロシア帝国」を含む「ロシアの歴史」の記事については、「ロシアの歴史」の概要を参照ください。

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