ナロードニキ運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/15 01:08 UTC 版)
「19世紀後半のロシアの革命組織」の記事における「ナロードニキ運動」の解説
都会の、倦怠なだけの社交生活、体裁だけの家庭生活を捨てて、人民の中へ入ろうという運動。それは貴族子弟にとっては、フロンティアであった。台所や召使の部屋に入って、彼らと対等に話すだけでも、ナロードニキとされた。勉強好きな者は、医師や教師となり、農村へ入って、無料の診療所や学校を作った。活動的な者は、農場や工場を作って、そこで現地の農民と一緒になって汗を流した。娘たちも教師や看護の資格を取ったが、それは自立する為と、貧しい農民に尽くす為である。行った先では、多く、あまりに悲惨な農民の実態に触れる事となった。まったく一介の農夫、樵、鍛冶屋となる者もあった。
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