スターソフの批評とその影響
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「ウラディーミル・スターソフ」の記事における「スターソフの批評とその影響」の解説
美術分野では、スターソフは移動派の支持者であり、ヴィクトル・ヴァスネツォフ、イワン・クラムスコイ、イリヤ・レーピンら同人画家たちを熱心に紹介した。音楽分野では、ミリイ・バラキレフを中心とするロシア国民楽派のグループ(ロシア5人組)の精神的指導者であり、このグループを「力強い一団」と呼んだほか、さまざまな助言を行った。とくにモデスト・ムソルグスキーやアレクサンドル・ボロディンらに対してはオペラの題材を提供するなど創作にも関わり、作曲者の死後は史料を整理して評伝を執筆するなど、彼らの作品の宣伝に尽力した。スターソフに影響を受けた音楽評論家にニコライ・フェンデーイゼン(1868年 - 1828年)がいる。 スターソフは、司法学校時代にサンクトペテルブルク滞在中のピアニスト、アドルフ・フォン・ヘンゼルト(1814-1889)に師事しており、のちにムソルグスキーとともにピアニスト、アントン・ゲールケにも学んでいる。しかし、スターソフ自身は作曲せず、自分の理想を宣伝することで他人の創造力に形を与えようとした。 スターソフは、ロシアでナロードニキ運動の源流となった作家・哲学者アレクサンドル・ゲルツェンを崇拝しており、彼の批評は、こうした人民主義的観点から作品に見られる国民主義、民衆性、リアリズムの要素を称揚・強調し、芸術家たちを理想的に描くものだった。スターソフによって美化された作曲家・画家たちの評価は、ロシア革命後のソビエト連邦政権においても基本的に堅持され、20世紀後半までこれらの受容を決定づける影響力を持った。しかし、ソビエト連邦の崩壊後のロシア音楽史研究においては、アメリカの音楽学者リチャード・タラスキンらによって、こうした「スターソフ神話」が明らかにされるとともに、作曲家と作品の実態に即した再評価がなされつつある。
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