ナロードニキ運動に参加
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 08:19 UTC 版)
「ヴェーラ・ザスーリチ」の記事における「ナロードニキ運動に参加」の解説
1868年再びペテルブルクに出て裁縫や製本の仕事の傍ら、夜間学校で工場労働者に読み書きを教えた。ザスーリチがセルゲイ・ネチャーエフと出会ったのはこの時期である。ネチャーエフの活動をザスーリチは助けるが、1869年3月ネチャーエフがスイスに亡命した後、ザスーリチと姉はネチャーエフ事件に連座し逮捕、投獄された。 ネチャーエフ事件の裁判で証人として出廷した後、1871年3月釈放される。しかし数日後、再び拘束され、以後、警察の監視下、いくつかの地方で拘束される行政流刑処分となる。ザスーリチは、拘禁中に意識的な革命家に変貌したと考えられる。 1873年に釈放され、1875年9月キエフに移る。キエフでナロードニキ組織「南のブンターリ(反乱者)」に参加する。この団体は、バクーニン主義の影響の強いグループで、ここで終生の友人であるレフ・デイチに出会う。デイチは、このころのザスーリチについて、知的で博識であり、注目に値する女性であると記している。 しかし、ほかのナロードニキが農民との軋轢で運動が挫折したのと同様、ザスーリチも、農民に受け入れられず運動は行き詰まりを見せていた。
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