ナローズでの攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/06 16:49 UTC 版)
「ハリソン砦包囲戦」の記事における「ナローズでの攻撃」の解説
ハリソン砦救援軍の後を追っていたのが、第7歩兵連隊のフェアバンクス中尉が指揮する兵士13名の部隊であり、小麦粉や肉を積んで荷車隊を護衛していた。9月13日、この輜重隊がナローズと呼ばれていた道の途中でポタワトミ族戦士の部隊に待ち伏せされた。そこは現在のインディアナ州フェアバンクスに近く、プレーリー・クリークの支流となる多くの谷があった。攻撃が始まったときに荷車を曳いていた馬が驚き、荷車と共に逃亡した。御者のジョン・ブラックと兵卒のエドワード・パーデューの2人のみが生きてノックス砦まで戻ることができたが、パーデューは重傷を負っており、任務を外された。この二人にとって幸運だったのは、ポタワトミ族が逃げた荷車を追ったことだった。輜重隊の兵士11名と物資の全てが失われた。ポタワトミ族は数名が戦死あるいは負傷した。 最初の輜重隊が出発してから2日後に、リチャードソン中尉の指揮する15名の兵士が第2の輜重隊を援護してビンセンズを出発していた。この部隊も同じ道を辿り、第1部隊が遭遇したことについて知らなかった。ポタワトミ族は2番目の輜重隊が接近していることを知ると、同様な待ち伏せを行った。9月15日、最初に攻撃された後で、リチャードソンは劣勢にあることを認め、退却を命じた。荷車は放置されて略奪されるままとなったが、それが後退する兵士の命を救った可能性がある。それでも兵士7名が殺され、重傷を負った者もいた。 マクゲーリー少佐の指揮する大隊が数日後に死体を発見し、ハリソン砦に行ってこの攻撃があったことをラッセル大佐に知らせた。重要なことはハリソン砦に半分飢えた生存者がいることであり、そのための輜重隊が失われたことだった。 ポタワトミ族の部隊はナローズを離れ、9月16日にはアイザック・ハットソンという開拓者の家を襲った。これは後に「ラモット・プレーリー虐殺」と呼ばれることになった。ハットソンは逃亡出来たが、その妻と4人の子供たち全てが殺された。
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