オーストリアと東欧諸民族、ロシアの改革とは? わかりやすく解説

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オーストリアと東欧諸民族、ロシアの改革

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 17:31 UTC 版)

近代における世界の一体化」の記事における「オーストリアと東欧諸民族、ロシアの改革」の解説

詳細は「オーストリア=ハンガリー帝国」、「アウスグライヒ」、および「世紀末ウィーン」を参照 1866年プロイセンとの戦争にやぶれ、統一ドイツからはずされオーストリアは、帝国再編せまられ1867年にはマジャール人自治認めてオーストリア帝国ハンガリー王国からなる二重帝国となった。このオーストリア=ハンガリー帝国は、ドイツ人マジャール人支配的な地位維持し帝国内のスラヴ人など10をこえる民族支配する構造となっていた。皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は、1860年代自由主義的な風潮のなかで、選挙制度の改革によりポーランド人チェコ人選挙権与えまた、ユダヤ人に対して寛大な姿勢をとり、職業結婚居住などについてユダヤ人課せられていた各種制限取り除いた外交的軍事的に対外的劣勢目立った二重帝国だったが、首都ウィーン大きく改造され世紀末には史上まれにみる文化爛熟現出した(「世紀末ウィーン」)。 オーストリア=ハンガリー帝国では、多く民族問題かかえていたが、東ヨーロッパ諸民族権利拡大されたこともあり、帝国内では独立要求本格化せず、自治要求権利拡大要求してあらわれた。 それに対しロシアドイツ支配下にあったポーランド人のあいだで、分割以前ポーランド復活をめざす運動貴族中心に進められた。1863年ロシア帝国内でポーランド人貴族反乱おこしたものの、民衆との断絶から失敗終わった詳細は「ロシアの歴史#ピョートル1世以降のロシア帝国」、「露土戦争 (1877年)」、および「ベルリン会議 (1878年)」を参照 ロシア帝国では西欧異なり、「ツァーリ」と呼ばれた絶対権力をもつ皇帝専制農奴制続いていた。クリミア戦争での敗北によりロシア後進性を痛感した皇帝アレクサンドル2世は「上からの改革」により近代国家樹立しようとはかり、1861年に「農奴解放令」を発布して、近代化への筋道をつけた。これは、国民国家創生への努力だったとともに解放され農奴たちは農村小作農となり、あるいは都市流入して労働者となり、ロシア産業革命勃興する契機となったロシア対外的には、バルカン半島における全スラヴ民族統一という汎スラヴ主義支持して1877年にはオスマン帝国宣戦し露土戦争はじめた。これはロシア勝利終わり翌年サン・ステファノ条約結ばれた。 しかし、この条約ロシア利益拡大するのだったことから、イギリスオーストリア=ハンガリー帝国強く抗議した。そのため、国際政治現状維持を望むビスマルク1878年ベルリン会議をひらき、諸国間の利害調整した。これにより、ルーマニアセルビアモンテネグロ独立みとめられイギリスキプロス管理権を、二重帝国ボスニア・ヘルツェゴヴィナ行政権獲得したロシア保護国化ようとしたブルガリア領土縮小されオスマン帝国自治国とされた。こうしてバルカン半島には民族国家がうみだされたものの、領土に不満をもつバルカン諸国は、オスマン帝国残され地域巡って再び対立し南下政策阻止されロシアとここに足場築いた二重帝国対立深めることとなった一方ロシア国内自由主義担い手知識人インテリゲンツィア)に限られていた。知識人の間には社会主義志向するナロードニキ運動始まった。しかし、この運動は広い支持農民から得られなかったことから、運動ニヒリズムへと傾いていき、1881年テロによりアレクサンドル2世暗殺された。

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