オーストリアとの合邦問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 03:41 UTC 版)
「パリ講和会議」の記事における「オーストリアとの合邦問題」の解説
当時オーストリアに発足したドイツ=オーストリア共和国のカール・レンナー首相は、経済混乱を収拾するためにドイツとの合邦(アンシュルス)を要求していた。またドイツも民族自決の観点から合邦を要求していた。ランシング国務長官は同じくカトリックの多いバイエルン州との合併を考慮したが、ウィルソンはあまり興味を持っていなかった。レンナーとしても合併実現は最後の手段であり、実行するとしてもアメリカの受諾が不可欠と考えていた。フランスは合邦には反対していたが、強硬な反対はかえって反発を招くことも危惧していた。結局フランスの意見が通り、条約には合邦禁止が明文化された。
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