ピョートル1世期の地方行政制度
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/17 03:30 UTC 版)
「グベールニヤ」の記事における「ピョートル1世期の地方行政制度」の解説
地方行政組織としての県が最初に制定されたのは、ピョートル1世の時代である。1708年12月18日の勅令(указ)により、インゲルマンランド県(1710年からサンクトペテルブルク県)、モスクワ県、アルハンゲロゴロド県(1780年からアルハンゲリスク県)、スモレンスク県、キエフ県、カザン県、アゾフ県、シベリア県の8県が設置された。 1719年には、県の行政機構について法制化が行われ、県の数も23まで増設された。県の首長には、県知事(グベルナートル)が置かれ、インゲルマンランド県、アゾフ県では総督(наместник ナメーストニク)が置かれた。県知事には、行政、政治、財政、司法の機能だけでなく、有事おける軍事的指揮権が与えられた。 また、県の下部組織として郡(провинция、дистрикт プロヴィンツィヤ、ジストリクト)が設置され、プロヴィンツィヤの首長としてヴォエヴォダ(воевода)、ジストリクトの首長としてゼムスキー・コミッサール(земский комиссар)が置かれた。
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