ドイツでの使用状況
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「オチキス H35」の記事における「ドイツでの使用状況」の解説
ドイツは約550輌のオチキスを鹵獲し、戦車型のままで主に占領地の警備任務に使用した他、各種改造車両のベースとして活用した。1943年6月時点で、なお戦車型のままのオチキスが361輌、装備リストに記載されていたが、1944年12月には60輌に減少している。 Panzerkampfwagen 35H 734(f) 標準の戦車型、旧型エンジンの「H35」。低性能のためか、H38に比べあまり使用された形跡はない。 Panzerkampfwagen 38H 735(f) 標準の戦車型、新型エンジンの「H39」。フランス本国同様、ドイツ軍も新型エンジン付き車両の中での武装の差異による分類、いわゆる(戦後資料で言うところの)「H38」と「H39」の明確な区別は行っていなかった。主に占領地の警備任務に使用した。ただし、第211独立戦車大隊のみは、バルバロッサ作戦当時にフィンランドに配備された。これは、フランス製兵器を装備したドイツ軍部隊では、初の実戦投入とされる。一部は警戒用として装甲列車の編成内に搭載された。ほとんどの車両は、車長の視界確保のため、オリジナルのキューポラの上部を切り欠いて両開きハッチを付ける改装を行っていた。また多くの車両は無線機が増設され、この場合、通常右側フェンダー後部に三脚架台付きでアンテナを装着した。 Panzerkampfwagen 38H(f) mit 28/32cm Wurfrahmen 通常の戦車型をベースに、Sd Kfz 251/1装甲兵員輸送車に対しての改装と同様、28cmまたは32cmロケットランチャー(ヴルフラーメン40)を装着したもの。発射枠は片側に3基ずつが装着された。 Mörserzugmittel 38H(f)(砲牽引車) Munitionsschlepper 38H(f)(弾薬運搬車) 多数のH39が砲塔を外し、牽引車や弾薬運搬車として使用された。 7,5cm PaK40(Sf) auf Geschützwagen 39H(f) 1942年、24輌がロレーヌ牽引車同様の改装を行い、75mm対戦車砲Pak40搭載の対戦車自走砲となった。これらはロレーヌ車体の自走砲と同様、俗に「マーダーI」と呼ばれることもある。フランス駐留の部隊で使用された。 10,5cm leFH18(Sf) auf Geschützwagen 39H(f) 1942年、48輌が改装された。砲搭載に伴い、エンジンは車体後部左側に移されている。フランス駐在の第8機甲砲兵大隊に配備された。現存写真では、LeFH18ではなく、同口径だが旧型のLeFH16野砲を搭載している車両も確認できるが、これが48輌中に含まれるのかどうかははっきりしない。 Großer Funk- und Befehlspanzer 38H(f) 上部車体を取り払い、新たに傾斜装甲の戦闘室を設けた無線指揮車仕様。24輌が改装された。 Panzerbeobachtungswagen auf 38H(f) 10,5cm leFH18(Sf) auf Geschützwagen 39H(f)と組み、前方に進出し着弾観測を行う砲兵用観測車。やはり傾斜装甲の戦闘室が設けられ、上面開口部周りに砲兵鏡と防盾付きMG34機銃1挺を装備している。
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ドイツでの使用状況
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「ルノー R35」の記事における「ドイツでの使用状況」の解説
フランス戦の結果、ドイツは多数の使用可能なR35を入手することになった。2線級の部隊で戦車型が使われたほか、一部は対戦車自走砲や、砲塔を外してトラクターに改造されて使用された。 Panzerkampfwagen 35R 731(f) 標準の戦車型。まったくの無改造である場合もあるが、多くは、砲塔上面にハッチを付ける改造が行われていた。これは本来のキューポラを基部のみ残して切断して付ける場合と、キューポラ自体を撤去して砲塔上面に直接ハッチを付ける場合とがあった。無線機も搭載され、左フェンダー上にアンテナが設けられた。フランス駐留の歩兵部隊などに警備用に分散配備されたほか、1943年に再編成された第21戦車師団の第100戦車旅団にも配備されたが、後者はほぼ訓練用途で、数ヶ月後に兵站部に返却されている。ほか、装甲列車に積載されたものもあり、列車上から射撃するか下車して機動戦闘を行った。この種の装甲列車は主にレジスタンス/パルチザンの破壊工作から鉄道線を守るために運用された。 4.7cm Pak(t) auf PzKpfw 35R(f) I号対戦車自走砲の生産終了に伴い、これに代わる車両として、R35ベースの同種車両の開発命令が1940年12月末に出された。アルケット社の設計により、1941年5月から10月にかけ、計200輌が改装された。これは、その後ドイツ軍で多用された戦車車台利用の対戦車自走砲としては、I号対戦車自走砲に続く2番目のものだった。搭載砲はI号対戦車自走砲と同じチェコ製4.7cm対戦車砲だが、新設された上部戦闘室は上面を除いて四周が防御されており、I号対戦車自走砲よりも防御力は向上していた。2線級の対戦車大隊で使用され、1942年、一部が重砲牽引車に再改装されたが、1944年になってもまだ110輌がフランス駐留の部隊で使用されており、ノルマンディーの戦いでも、非力ながら連合軍を迎え撃つために使われている。 5.0cm Pak38 auf PzKpfw 35R (f) 4.7cm砲搭載自走砲の能力向上型として、5cm砲搭載型が1941年に試作された。搭載砲を除き、戦闘室形状は4.7cm砲型とほぼ同じである。試作1輌のみに終わった。 Befehlspanzer 35R (f) 4.7cm砲搭載自走砲の随伴指揮用車両として26輌が製作された。基本形状は4.7cm砲搭載自走砲と同じで、主砲の代わりにMG34機銃1丁を戦闘室前面に装備するタイプの写真が残されているが、通常の戦車型ベースの指揮車両が用いられたと記述する資料もあり、26輌の生産台数がどちらを指すのかはっきりしない。 Munitionspanzer 35R 731(f) 弾薬運搬車。通常の戦車型をベースに砲塔を撤去したもの。 Bergeschlepper 35R 731(f) 回収車。弾薬運搬車同様、通常の戦車型をベースに砲塔を撤去したものが用いられた。弾薬運搬車や回収車の一部は、砲塔用開口部を塞いだもの、あるいはこの部分に防盾付きMG34機銃を装備したものもある。 Mörserzugmittel 35R (f) 弾薬運搬車や回収車と同様、砲塔を撤去したR35が重砲牽引車として使用された。15cm重榴弾砲、21cm重臼砲などの牽引に用いられた。
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ドイツでの使用状況
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ドイツは37輌のFCM 36を鹵獲し、それらをPanzerkampfwagen 737 FCM (f)の名称で使用した。ただし、戦車型そのものとしては、1940年5月、6月に現場部隊で即席に使われたのみだった。 1942年、12輌のFCM 36が自走榴弾砲、10.5cm leFH16/18(Sf)auf Geschuetzwagen FCM(f)に改装された。1943年、10輌のFCM 36が駆逐戦車マーダー I に改装された。これらは第21装甲師団(ドイツ語版)によって、1944年、ノルマンディー戦線で使用された。
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