ドイツからの特権ユダヤ人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 14:21 UTC 版)
「テレージエンシュタット」の記事における「ドイツからの特権ユダヤ人」の解説
ハイドリヒはテレージエンシュタットに「特権的ドイツ系ユダヤ人」を移住させていった。「特権的ドイツ系ユダヤ人」とは、ドイツ系ユダヤ人のうち、ゲットーで安住することを許された者たちである。たとえばユダヤ人組織の役員、名士、第一次世界大戦でドイツ軍やオーストリア軍に従軍して勲章を受けたか負傷をした者、非ユダヤ人と結婚している者、65歳以上の者などである。特に老人が多く、このためにテレージエンシュタットは「老人ゲットー (Altersghetto)」の異名があった。 ドイツからテレージエンシュタットに送られてくるユダヤ人たちの間にも、自分たちはテレージエンシュタットで特別扱いを受けられるという幻想があった。しかし実際のテレージエンシュタットは古い兵舎、栄養不良、劣悪な衛生状態にあり、到着した者のうち特に老人はここの環境を耐え抜けず、次々と死亡した。ドイツから移送されてきたユダヤ人の死亡率は特に1942年はひどく、移送された者のうち半数が死んでいる。しかしその後死亡率は低下していった。彼らは保護領ユダヤ人と違って原則として移送を受けなかったが、戦争後期には区別されなくなり、彼らも容赦なくアウシュヴィッツ強制収容所へと移送されていった。 ドイツからテレージエンシュタットに送り込まれたユダヤ人の総計は4万2800人、オーストリアから送り込まれたユダヤ人は1万5000人である。
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