ドイツでの不満
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 09:07 UTC 版)
第一次世界大戦後のナチズムとファシズムの広まりには、民族主義の復活と戦後の変革(民主化)に対する拒絶が含まれている。同じように、背後の一突き伝説が支持を得た背景には、敗戦国たるドイツの心理状態、および戦争責任の拒絶があった。この陰謀論は広く受け入れられ、ドイツ国民は自身を被害者とみなした。また、同じ理由により、ヴァイマル共和政はその正統性が揺らいで政局は常に不安定化し、左右両翼の勃興を許した。 ヨーロッパの共産主義とファシズム運動はこの陰謀論を利用して人気を得、特に戦争の影響を深く受けた地域で顕著だった。ナチス党首アドルフ・ヒトラーは、ヴェルサイユ条約に対するドイツの不満を利用して人気を博した。そのため、第二次世界大戦は第一次世界大戦で解決されなかった権力闘争の継続という一面がある。さらに、1930年代のドイツは、第一次世界大戦の戦勝国に不公平に扱われたことを理由として、侵略を正当化した。 アメリカの歴史家ウィリアム・ルービンスタイン(英語版)は、「『全体主義の時代』は現代史上の悪名高いジェノサイドを全て含み、ユダヤ人に対するホロコーストがその筆頭であったが、共産主義諸国による大量殺人と追放、ドイツのナチ党とその同盟者によるほかの大量殺戮、そして1915年のアルメニア人虐殺も含む。ここで主張するのは、これらの殺戮の起因は全て同じであり、その起因とは第一次世界大戦によりエリート層の構造と中央、東、南ヨーロッパの政府の常態が崩壊したことであった。それがなければ、共産主義もファシズムも無名の扇動者や変わり者の頭の中にしか存在しないものとなっていたであろう。」と述べた。
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