ドイツでの保管場所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/07 04:10 UTC 版)
「ネフェルティティの胸像」の記事における「ドイツでの保管場所」の解説
『ネフェルティティの胸像』はベルリンに運ばれ、ユダヤ系ドイツ人の実業家でアマルナ発掘の後援者でもあったジェームズ・ジーモン(ドイツ語版)に寄贈された1913年以来ドイツにある。1913年にはジーモンの邸宅に飾られており、その後ほかのアマルナからの出土品とともにベルリン美術館に貸し出されている。1914年までほかのアマルナ出土品はベルリン美術館に展示されたが、ボルヒャルトの要望で『ネフェルティティの胸像』の存在は秘密にされていた。1918年にベルリン美術館は秘密にしていたこの胸像を一般公開することを検討したが、またもボルヒャルトからの要望で計画は頓挫してしまう。その後胸像は1920年にベルリン美術館に寄贈され、1923年にボルヒャルトの文書でその存在が公となり、1924年後半になってベルリンのエジプト美術館で一般公開された。その後、胸像は博物館島の新博物館で展示されている。第2次世界大戦勃発によりベルリン美術館が所蔵していた古代遺物がすべて安全な場所に移され、ベルリン美術館が閉鎖される1939年までそのまま新博物館に展示されていた。『ネフェルティティの胸像』は当初帝国銀行の地下金庫に保管され、1941年の秋になってベルリンの高射砲塔防空壕に移された。新博物館は1943年のイギリス空軍によるベルリン爆撃によって被害を受けている。さらに1945年5月6日に胸像はテューリンゲン州の岩塩坑に移された。 1945年5月にアメリカ陸軍が『ネフェルティティの胸像』を発見し、美術品を扱う部局に引き渡された。胸像はフランクフルトに運ばれ、1946年までヴィースバーデンの美術館で公開されている。1956年に胸像が西ベルリンへ返還され、ダーレム美術館に展示された。1946年初頭には東ドイツが『ネフェルティティの胸像』を、第2次世界大戦前に展示されていた博物館島(当時は東ベルリン)へ返還するよう要求している。1967年にシャルロッテンブルクのエジプト美術館に移され、さらに2005年に旧博物館 (Altes Museum) に移された。そして2009年10月に修復再建された新博物館に戻され、収蔵品の目玉として展示されている。
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