ドイツでの捕囚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 15:59 UTC 版)
「リチャード1世 (イングランド王)」の記事における「ドイツでの捕囚」の解説
フランスに帰国したフィリップ2世は、神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世やジョンと結託し、ジョンの王位簒奪を支援していた。リチャードはその陰謀を母から知らされており、帰路を急いだが、途中で船が遭難したため、変装して陸路をたどった。しかし、オーストリアを通過中に見破られ、アッコンでの屈辱を忘れていなかったレオポルト5世(フィリップ2世同様すでに帰国していた)に捕らえられ、デュルンシュタイン城に幽閉された。この時ジョンはリチャードが死んだものとして王位に即こうとしたが、諸侯の支持を得られず断念した。 1193年にレオポルト5世からハインリヒ6世に引き渡されたが、イングランド側が15万マルク(10万ポンド)もの多額の身代金を支払うことで決着した。ジョンやフィリップ2世は、リチャードの解放を遅らせようとハインリヒ6世と交渉したが、身代金が支払われると、リチャードは1194年2月に解放された。この時、フィリップ2世は手紙でジョンに「気をつけろ、悪魔は解き放たれた」と知らせたといわれる。
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