テーマパーク時代とは? わかりやすく解説

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テーマパーク時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 14:22 UTC 版)

カナディアンワールド公園」の記事における「テーマパーク時代」の解説

1989年6月ラベンダー植栽開始し8月30日着工し52億円の工費投じて建設し1990年平成2年7月29日テーマパークカナディアンワールド」として開園開設時にはプリンス・エドワード島にあるものを忠実に再現した赤毛のアンの家・グリーンゲイブルズ」や「リンド夫人の家」、「時計塔セントジョン」などが整備され開業時には「カナダテーマしたものでは日本最大テーマパーク」とされていた。EMIミュージック・ジャパンよりオフィシャルイメージアルバムとしてオムニバスCDカナディアンワールド~赤毛のアンふるさと」も発売された。JR北海道来場者輸送のために、快速ミッドナイト」用車両56系気動車)を使用し札幌駅から函館本線滝川駅経由そのまま根室本線入り芦別駅まで直通する全車指定席臨時快速列車「北の京&カナディアンワールド号」を運行した開園きっかけとしてアン故郷であるシャーロットタウン市との交流開始し1993年には正式な姉妹都市提携締結。 しかし、赤毛のアン人気は「カナディアンワールド」の集客には直結できなかった。入園料飲食代・土産品価格の高さやトイレ設備少なさなどから市民の間でも「一度行ったらもう十分」等と公然と批判の声上がりすり鉢状地形活かし建物配置し周囲の針広混交樹林調和させカナダ風景想起させつつ独自の景観美を出し入口から箱庭情景演出する設計として海外旅行疑似体験志向し赤毛のアンそぐわない建造物除外した一方でカナダ風の建築物カナダ人スタッフ入れるも作り物であることが否め満足感強くもたらす事ができなかった。芦別カナダ気候風土似ているだけでカナダ再現する必然性低く、また一般家族快適に過ごせ環境熟慮していない事も入場者減の大きな要因とされ、この他ラベンダー植栽管理接客態度悪さ冬季集客策やインドア政策皆無等も指摘されていた。 年間入場者数最多だった1991年平成3年)度で約27万人当初目標40万人大きく下回り早くから入場者数低迷して業績不振悩まされることになった。特に冬季入場者数少なかったことから1994年平成6年)から冬季休園するようになった1991年6月直営大型レストランハートランド」と1992年にはミニSLカナディアンロッキー」、1995年にアンティークオルゴール館開設等の設備拡充従来市民けだった年間フリーパスポートの市外者向け販売やリピーター・ファミリー割引といった入場割引拡充を行うも営業実績一向に改善しなかった。また一般社員寄り合い所帯による運営売り切れない程に大量印刷した入園パスポートのためにプレハブ倉庫建てた土産品カナダ雑貨特定業者から高値仕入れるなどといったコスト管理希薄さサービス意識が低い事も経営不振大きな一因とされた。1993年には経営不振を補う通年型リゾートとして「新・星の降る里芦別(株)設立構想」を提出し第三セクターによる班渓幌内山と山麓でのスキーリゾート・ホテル・ゴルフ場開発を行う「カナディアンスポーツワールド整備事業」を計画しスキー場ホテル建設費200億円・ゴルフ場建設費55億円を見込んだバブル崩壊に伴いゴルフ場開発会社撤退し金融機関理解得られ廃案となった1994年2月には東急エージェンシーからの派遣社員返上し4月から物販飲食テナント化や従業員削減行い6月に市から星の降る里芦別への48億円の金融支援可決10月ふるさと融資資金返済不可能となり保証銀行日本興業銀行が市に代位弁済開始産業基盤整備基金中心とした協議会にて1995年3月1994年度から2013年度までの元金分割返済を行う・政府系金融機関金利2014年度以降10年均等返済し民間金利5年後見直内容第一次金融合意至り市の損失補償額は46億1277万円となったこうしたカナディアンワールド」の不振により巨額債務芦別市抱え込むことになったことを受けて1995年平成7年)に東田耕一市長引責辞任し、その後任を選ぶ市長選挙カナディアンワールドの是非が主要な争点として行われる事となり、存続訴えた林政志当選その後再建果たせ赤字続きとなっていたため、1997年9月に星の降る里芦別臨時株主総会にて単独での事業断念決定10月市民公園化案が提出され閉園して無料公園として再出発させることになり、1997年平成9年10月閉園した1998年4月には市民公園化の公聴会行い1999年平成11年1月には設備資金返済期限2033年まで10年延長と金0.5%に減額第二次金融合意決定し損失補償37億8249.6万円再々設定した

※この「テーマパーク時代」の解説は、「カナディアンワールド公園」の解説の一部です。
「テーマパーク時代」を含む「カナディアンワールド公園」の記事については、「カナディアンワールド公園」の概要を参照ください。

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