テレビ進出
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1970年代後半から状況はさまざまに変化を見せ、立川談志や漫画家の高信太郎らがツービートを評価し出し、所属事務所も太田プロダクションへ移籍し、1975年に東京12チャンネル(現・テレビ東京)の『ライバル大爆笑!』でテレビ初出演。 大阪で興ったB&Bに加え、テレビ『ヤングおー!おー!』に出演していた若手達のコンビ、そしてツービートなど、以前とはスタイルの違う新世代の漫才師を一つのムーブメントとして過去の“漫才”から一線を画する意味で“マンザイ”、“MANZAI”としてフジテレビで『THE MANZAI』(全11回で終了)として番組に構成。 これらのメンバーを中心に、1979年頃より1981年頃にかけて漫才ブームと呼ばれる社会現象になった『THE MANZAI』の出演者は、服装もツナギ(紳助・竜介)やコンビロゴの入ったスウェットシャツ(B&B)、DCブランド(ツービート)、アイビールック(ザ・ぼんち)とバラエティに富み、アイドル性を加味している。ただし、ツービートの2人は他の若手が20代だったのに対して既に30代に突入しており、外見的にも業界用語でいう「汚れ」であって、アイドル人気ということでは一歩遅れを取っていた。 さらに、ツービートはテンポが速いのみならず、“毒舌”と評される「ジジイ」、「ババア」、「ブス」をはじめとした単語を多用し、それまでは穏和で、ある意味媚びたスタンス漫才師が一般的であった背景からコンサバ層(婦人、中高年齢層)には受け容れられず、『THE MANZAI』出演当時も事実、人気は5番目あたり(本人談)に位置し、当時はほぼ完全に若手サラリーマンや大学生と言った、教育レベルが比較的高く、新しい刺激やスタイルに直感的に敏感な世代のみに支持されていた。後にテレビ番組『ダウンタウンDX』でゲスト出演の紳助が「実際はB&Bと紳助・竜介、ツービートだけが新しいもので他は既存のものであった」と語っている。 『THE MANZAI』は当時関西ばかりにタレントが揃い、東京勢が希少であったにもかかわらず、自らの意思で第5回をもって出演を最後にしている。ツービートの漫才が浸透し要望が高まっていた頃にはすでに『THE MANZAI』から姿を消していたのである。漫才の舞台から姿を消すのと同時期にたけしはソロ活動を開始。1981年1月1日からのニッポン放送『ビートたけしのオールナイトニッポン』では深夜放送のヘヴィユーザーである受験生に絶大な支持を受け、勤労層の若者は録音で愉しみ、テープを回し何度もその早口を聞き取ることを喜びとした。 漫才ブームが始まった頃のギャランティは月額30万円程度だったが、ブームが到来すると半年で月1600万円になっていたという。2017年に公表された御田晃生による、絶頂期の1980年には年収が20億円であったとする文も存在する(当時の大卒初任給の平均は11万円)。
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テレビ進出
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こうした出来事の一方で瀧子は新興メディアのテレビにも進出し、1953年2月のNHK開局と同時に始まったゲーム番組『ジェスチャー』に出演した。これはたんぽぽ時代に合同公演を行ったことがある柳家金語楼の推薦によるものであった。 また、同年と1957年には『紅白歌合戦』の紅組司会を務めたが、瀧子はその前身『紅白音楽試合』(1945年)の司会者も務めている。『紅白音楽試合』では、欠場したベティ稲田の穴埋めとして急遽紅組トリで「ポエマタンゴ」を歌唱した。
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テレビ進出
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「リカルド・モンタルバン」の記事における「テレビ進出」の解説
1960年代以降は映画のみならずTVドラマにも多く顔を出し、多数の単発アクション、刑事物ドラマに主演。さらに『コンバット』シリーズにもゲスト出演した。そして一世を風靡した『スタートレック』シリーズでは、「優性人間・カーン」に扮した。 しかし、こうした単発ものでは脇役にすぎず、印象が弱いままだったが、1978年から1984年の間に124のエピソードが放映された『ファンタジー・アイランド』で、主人公である「ミスター・ローク」を演じ、北米でのテレビ・スターとしての圧倒的な地位を確保することに成功した。 『ファンタジー・アイランド』は熱帯の孤島でゲストを迎えるミスター・ロークがゲストたちのいろいろな夢をかなえさせるという設定で、直前の時間帯(午後9時から10時)に放映された『ラブ・ボート』とともに、当時の北米の人々の「夢をかなえさせる」ドラマとして人気があった。 さらにはテレビCMにもいくつか出演し、特に大手自動車会社のクライスラー社のテレビCMには、各車種のCMや企業CMを含めて1970年代から1980年代にかけて長年出演を続けた。
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