ソロモン諸島での海上護衛戦(1)
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「卯月 (睦月型駆逐艦)」の記事における「ソロモン諸島での海上護衛戦(1)」の解説
ミッドウェー海戦に敗れた日本海軍は戦力を再編し、卯月は6月24日に南洋方面の航空基地を強化する支援部隊に編入した。6月下旬、軽巡夕張、卯月、追風、夕月、第21駆潜隊、第23駆潜隊はガダルカナル島へ進出する輸送船団の護衛部隊に加わった。7月上旬にガダルカナル島攻略作戦に参加し、ラバウルに帰投後は第十八戦隊(軽巡天龍・龍田)の指揮下で東部ニューギニア攻略作戦に参加した。第30駆逐隊は7月10日、内地からトラック泊地への輸送路を警戒する第二海上護衛隊に編入した。22日、ニューギニア島のブナで米軍大型爆撃機の攻撃を受け輸送船綾戸山丸が座礁、救援のため接近した卯月も至近弾をうけ死傷者16名を出し、ラバウルへ避退した。 7月27日に「筥崎丸」を護衛してラバウルを発し、7月30日にトラック着 8月6日に龍田、卯月、夕月、駆潜艇2隻は輸送船3隻(南海丸、幾内丸、乾陽丸)を護衛してラバウルを出撃、ブナへ向かった。7日、米軍がガダルカナル島に上陸した。9日にラバウルへ戻り、10日に米潜水艦に撃沈された加古の乗員救助に出動し、11日早朝にシンベリ島に到着、乗員650名を救出した。 連合軍は8月中旬にガダルカナル島ヘンダーソン飛行場を完成させて運用を始め、同島周辺海域の制空権を完全に掌握した。第二水雷戦隊が護衛するガダルカナル島への上陸作戦が計画され、卯月はラバウルで物資を搭載、25日にガダルカナル島に到着したが、空襲で損傷した。同日、睦月が第二水雷戦隊に合流直後、第二次ソロモン海戦で沈没した。卯月は内地へ帰投し、佐世保海軍工廠で修理に入った。9月にラビの戦いで弥生も沈没。睦月型の艦艇類別表上の表記は10月1日に卯月型と変更され、12月1日に第30駆逐隊は解隊された。 修理完成後の12月13日、九九式双発軽爆撃機をトラック泊地へ輸送する空母冲鷹の護衛として横須賀を出発、迎えの駆逐艦朝雲・時雨と合流し無事に到着した。その後はコロンバンガラ島・ムンダ飛行場への輸送作戦に参加。25日夕、米潜水艦の雷撃で損傷した南海丸を護衛中に同船と衝突し、左舷が大破穿孔して航行不能となった。ラバウルの駆逐艦4隻(長波、有明、谷風、浦風)が救援に出動し、卯月は有明に曳航され、谷風の護衛でラバウルへ向かった。しかし26日朝に有明がB-24爆撃機の空襲で中破したため曳航が浦風に変わり、長波が護衛してラバウルに帰投した。 1943年(昭和18年)1月5日にラバウルで爆撃を受けさらに損傷、トラックまで後退し工作艦明石の支援で応急修理を行った。3月31日、望月、三日月と第30駆逐隊を再編し、4月1日に第三水雷戦隊に編入した。6月24日、神光丸が曳航する駆逐艦秋月を駆逐艦漣と共に護衛してサイパンを出発、7月5日に長崎に到着し、佐世保で本格的な修理に入った。三日月は7月29日に空襲で沈没した。
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ソロモン諸島での海上護衛戦(2)
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1943年(昭和18年)10月に佐世保を出港し、トラック泊地へ進出した。18日に軽巡木曾・多摩と合流、ラバウルへ向かうが21日未明に木曾がニューアイルランド島沖で爆撃を受け損傷した。多摩はラバウルに先行し、卯月は木曾を護衛。途中で複数回の空襲を受けたが、ラバウルの零式艦上戦闘機や駆逐艦五月雨の救援を受け、正午前にラバウルへ到着した。 10月23日、「卯月」は「望月」と共にニューブリテン島ジャキノットへ八十六警の100名を輸送するためラバウルから出撃。揚陸中に敵機の攻撃を受けて「望月」が沈没し、揚陸を断念。「卯月」は「望月」の生存者を収容し、ラバウルへ戻った。10月29-30日、駆逐艦「文月」と共にニューブリテン島西部ガロベへの輸送任務に従事。10月31日、「卯月」はブカ島へ航空部隊の基地員を輸送するためラバウルから出撃。同日夜ブカ島はアーロン・S・メリル少将率いる艦隊(軽巡洋艦4隻、駆逐艦8隻)による砲撃を受け、「卯月」はブカ島の西約20浬で「巡洋艦二乃至三、駆逐艦五以上」と遭遇、砲撃を受けて小破孔3箇所を生じた。 11月2日のブーゲンビル島沖海戦では輸送隊(天霧、夕凪、文月、卯月、水無月)として参加するが、輸送隊は反転したため交戦しなかった。海戦で軽巡川内、駆逐艦初風が沈没した。11月5日以降、ラバウルは米機動部隊の空襲を受け、重巡洋艦を中心に大損害を受けた(ラバウル空襲)が、卯月に損傷はなかった。11月中旬以降、ラバウル方面に投入されていた艦艇は次々に撤収した。 詳細は「セント・ジョージ岬沖海戦」を参照 11月21-22日、警戒隊(大波、巻波)、輸送隊(天霧、夕霧、卯月)はブカ島への輸送に成功した。24日午後に同じ戦力でラバウルを出撃、同日夜に揚陸を終えて帰路についた。25日午前零時、米第23駆逐部隊(アーレイ・バーク大佐、駆逐艦5隻)に奇襲され、大波、巻波、夕霧が沈没した。卯月は避退中に砲撃され損傷したが、天霧と共に早朝にラバウルへ到着した。30日、第30駆逐隊に夕月が編入した。12月前半は月明期で夜間輸送は困難として、ラバウルの第三水雷戦隊はトラックやパラオで整備することになった。卯月は、あけぼの丸を護衛してパラオに移動。整備中に機関部に異常が見つかったため、国洋丸を護衛してラバウルに移動後、トラック泊地に回航された。天霧と卯月は26日にタンカー日栄丸と旭東丸を護衛してトラック泊地からパラオに向かい、29日に駆逐艦早波と合流して護衛を交代、パラオに到着した。 1944年(昭和19年)1月4日、駆逐艦太刀風と共にタンカー2隻(富士山丸、神国丸)を護衛してパラオを出発、10日にトラック泊地に着いた。15日、大破した駆逐艦長波を呉まで曳航する軽巡長良を、夕凪と共に護衛して内地に向かい、卯月と夕凪は佐世保に到着した。佐世保海軍工廠は戦局が緊迫するマリアナ諸島方面への船団護衛に必要な卯月の修理を急ぎ、3月に完了させた。
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