ソロモン諸島での作戦とは? わかりやすく解説

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ソロモン諸島での作戦(1943年9月~1944年4月)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 08:06 UTC 版)

テリー (DD-513)」の記事における「ソロモン諸島での作戦(1943年9月1944年4月)」の解説

3日後、ヨークタウン (CV-10)、ダシール(DD-659)(英語版),マッキー(DD-575)(英語版)の部隊のいる海域向かった。 3隻は7月10日パナマ運河到着した二日後、テリーヨークタウンマッキー、シグスビー(DD-502)(英語版)はハワイに向け出航した真珠湾到着したのは24日で、テリー8月中旬までハワイ近海演習行った8月19日テリー真珠湾離れ太平洋南西向かったフラム (DD-474)(英語版)とゲスト (DD-472)(英語版と共に航行し、一旦フィジースバ停まった後、9月6日ニューヘブリディーズ諸島現在のバヌアツ共和国)のエファテ島ハヴァナ港に到着したニューカレドニアヌメア訪れた後、9月末のソロモン諸島での任務に就くためテリー単独エファテ島戻った1943年9月中旬テリー過酷なソロモン諸島の戦い遅れて加わった。彼女は作戦最後の5ヵ月間だけを経験し最後2つ水陸両用作戦参加したソロモン諸島での彼女の主な任務輸送部隊護衛や、日本軍の撤退阻止するための輸送路の分断であった稀にソロモン海離れてニューカレドニア行き船舶護衛行ったソロモン海における彼女の最初の戦闘10月初めに発生した10月2日テリーフート(DD-511)英語版)、コンバース (DD-509)(英語版) 、ジェンキンス (DD-447)と共にチョイスル島コロンバンガラ島の間にあるニュージョージア海峡集められた。彼女ら任務コロンバンガラ島から撤退する日本兵乗せた機動艇部隊迎撃であった戦闘開始前、彼女と3隻の姉妹艦は島から撤退する日本兵待ち伏せした。2114分、目標捉えた。4隻は右舷回頭し、5分後、砲門開いたテリー一斉射撃すると、射撃装置停止した。3分後、砲撃止め修理開始したすぐさまレーダー員が砲の“眼”を回復させ、程なくしてテリー砲撃再開した日本軍舟艇反撃したテリーとその他駆逐艦レーダー画面から彼らが消えるまで激し砲撃浴びせた。その直後若竹型駆逐艦護衛され更なる舟艇レーダー捉えられた。テリーとその僚艦らは斉射魚雷広範囲発射した日本軍駆逐艦反撃したが、魚雷により鎮められアメリカ艦艇の方への転進余儀なくされた。その間アメリカ駆逐艦魚雷発射のため射撃止め、5inch主砲は再び火を噴いたアメリカ軍連続砲撃日本軍大きな損害を受けるにつれ、反撃徐々に弱まった戦闘終了すると、テリーギゾ海峡進路向けたテリー10月終わりにかけて護衛任務パトロール任務再開した11月初めブーゲンビル島エンプレス・オーガスタ湾強襲のためジョージ・クライマー(APA-27)、ハンター・リゲット (APA-14)とプレジデント・ジャクソン (APA-18)を護衛しつつ再び北上したタロキナ岬上陸の前の11月1日テリーフラム日本軍航空攻撃回避した小さな輸送船砲手は2機を撃ち落とし残り敵機追い払った。翌早朝部隊上陸した。5時45分テリー発砲し強襲上陸部隊支援1日続けた11月3日テリーは同海域掃討ガダルカナル島近くフロリダ諸島に向け南へ戻った。 その次の三か月間、テリー補給部隊護衛パトロールという通常任務再開した時折ブーゲンビル島訪れラッセル諸島トレジャリー諸島パトロール行ったテリー2度ヌメア訪れた12月最初一週間テリー日本軍掃討を2回行った12月3日ガダルカナル島からブーゲンビル島移動していると、ほぼ同時に空と海中からの攻撃受けた日本軍潜水艦が2本の魚雷発射したが、テリー跡が艦尾通過するのを見つけた。そしてほぼ同時に日本軍複数戦闘機襲い掛かった戦闘機何度も接近失敗しテリー対空砲により一機が撃ち落とされる攻撃諦めた11日後、テリーは再びブーゲンビル島攻め、他の日本軍機が攻撃試みたテリー砲撃礼儀教えると敵機はすぐに引き下がったヌメアにおいてパトロール護衛任務などを行った後、テリーソロモン攻略作戦最後主要な水陸両用作戦支援命じられた。1944年2月13日ブレイン (DD-630)ウォリントン(DD-383)(英語版と共にパーヴィス湾を出航した2月15日の上陸では、3隻は敵機迎撃開始したが、“傷を負わされた”アメリカ海兵隊戦闘機迎撃した際は砲撃止めたその後テリー戦車揚陸艦隊は強襲目標基地から飛来し日本軍急降下爆撃機恐れおののいた爆撃機掃討終わりまで広範囲残っていた。2月21日テリーグリーン諸島離れツラギ島戻ったテリー次なる目標ビスマルク諸島ニューブリテン島ある日本軍大規模な基地であった2月23日ツラギ島出航しトレジャリー諸島燃料補給し25日夜明け前ラバウル到着した。彼女の主砲はナポレの日本軍沿岸施設対し23分間渡り砲弾浴びせた攻撃中の3時頃、複数爆発起き20マイル離れた海上からでも見えるような猛烈な炎で目標地点飲み込んだデューク・オブ・ヨーク諸島英語版海域墜落したパイロット捜索のため駆逐隊司令官更なる砲撃取り止めたその後ヶ月渡りテリー南西太平洋戦域に留まった。テリーエミラウ島侵攻する任務部隊編成され3月20日エミラウ島の無血占領成功したその後通常のパトロール護衛任務再開した4月2日テリー墜落したB-24爆撃機生存者救出した5月上旬オーストラリヤシドニー休息をとった後、エミラウ島へ向け出航し13日到着した5月後半には、アイダホ (戦艦)ニューメキシコ (戦艦)ペンシルベニア (戦艦)の3隻の戦艦構成される第三戦艦隊との演習行った

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