シンゴラ・パタニ方面とは? わかりやすく解説

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シンゴラ・パタニ方面

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 10:17 UTC 版)

日本軍進駐下のタイ」の記事における「シンゴラ・パタニ方面」の解説

日本軍開戦同時に英領マレーの上作戦企画し上陸作戦では当初ソンクラー当時日本軍呼称シンゴラ)、パッターニー当時日本軍呼称パタニ)などのタイ南部海南島三亜から長途渡洋接敵によって奇襲上陸し陸上から英領マレー侵攻する案が有力であった。それに対し第25軍作戦参謀辻政信中佐が自ら偵察機乗って要所偵察行いその結果ソンクラーパッターニー飛行場英領マレー飛行場比べて貧弱イギリス軍の反撃に耐えず、上陸制空権確保にはならない判断英領マレーコタバル飛行場同時上陸敢行する案を陸軍案として強硬に要請した南遣艦隊司令長官小澤治三郎中将陸海軍意向聞き、このコタバル同時上陸決行決断した。さらに第3飛行集団と第5飛行集団から抽出した10飛行団作戦協力することになったソンクラーへは第5師団主力河村部隊輸送船団香椎丸、九州丸、青葉山丸佐渡丸、龍城丸関西丸、那古丸、浅香山丸、笹子丸、熱田山丸、病院船波ノ上、計11隻)で8日午前4時頃、悪天の中、上陸開始上陸際し抵抗はなく、ソンクラー飛行場占領した。しかし、上陸後河村部隊南部ホーン山麓タイ国守備隊交戦佐伯部隊はタイ国王国軍交戦しハートヤイ進軍午後2時ハートヤイ占領鉄道突進隊は午前5時40ソンクラー駅速やかに車両押収しハートヤイ駅英領マレーパダン・ブサール駅付近国境突破のために進軍した一方市川支隊タイ王国軍抵抗遭い出発が遅れ午前9時20自動車押収し鉄道要地となるペラク鉄橋確保任務のために英領マレーアロースター方面進軍した主力河村部隊は、サダオ付近に英印軍機械化部隊国境進出中との報を受け、午後2時30交戦中のタイ国守備隊からの停戦受け入れ午後6時ハートヤイ進軍した。それに対す英印軍第三軍団第6、第15旅団英領マレー・ジットラ陣地から日本軍の進撃遅滞させるために小機械化部隊装甲列車サダオ進出させていた。9日21時ごろ、サダオ英印軍機械化部隊交戦戦闘末、英印軍道路橋破壊して国境撤退した10日には佐伯部隊が国境線通過12日には日本軍がジットラ陣地突破を果たすことになる。 ソンクラー県テーパー当時日本軍呼称タペー)へは第5師団安藤支隊一部第3大隊)輸送船阿蘇山丸、鬼怒川丸で8日払暁上陸テーパー海岸上陸した第3大隊困難な地形突破し午後7時飛行場占領した第3大隊主力即座に南下し、9時14時安藤支隊主力第一大隊ヤラー付近パッターニー河畔合流したパッターニーへは第5師団安藤支隊主力(第1、第2大隊)が輸送船団東山丸相模丸、金華丸、宏川丸)で8日午前4時頃、荒天の中で上陸上陸時攻撃はなく、安藤大佐将兵50名でパッターニー市街先行するが、市街地への途中でタイ王国軍包囲され戦闘となった。夜が明け、第1、第2大隊西北部進出してくると形勢逆転し1140パッターニー市街地半分占領したところで守備隊降伏武装解除行いパッターニー飛行場占領した。この時交戦したタイ王国軍兵力歩兵1大隊警察隊1中隊飛行場警備隊200名だった。日本側の損害死傷45名。 安藤支隊揚陸作業を待つことなく第1大隊先行第2大隊続き速やかにマレー国境急行させた。しかし、パッターニー河渡河が隘路になっており、第1大隊渡河終えたのは10日となったこのため隊列長大になり、10日正午ベートンへの途上英印軍対峙したときにはわずかな兵を掌握しているに過ぎなかった。 他方英印軍第三軍団クロコール隊(第14パンジャップ第5大隊、第16パンジャップ第3大隊野砲1中隊工兵1中隊衛生隊)は8日15時英領マレーのジットラ陣地からタイ王国領内進攻タイ王国警官隊交戦しつつ、9日15時ベートンを占領10日14パンジャップ第5大隊進軍中に日本軍軽戦車隊に遭遇交戦になった11日夜後続の第2大隊到着12日前面英印軍歩兵数百名、戦車数十両に払暁攻撃仕掛け同日12日正午突破した13日午前10時には先行していた第2大隊がベートン郊外英印軍16パンジャップ第3大隊遭遇交戦となり、夜を徹して戦闘行い突破した14日午前ベートン北側通過し午後3時にはベートンを通過し南進した。15日正午には国境線越えて英領マレー進攻した。

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シンゴラ・パタニ方面

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 10:17 UTC 版)

日本軍のタイ進駐」の記事における「シンゴラ・パタニ方面」の解説

第25軍先遣兵団主力マレー国境近くタイシンゴラから、安藤支隊パタニ、ターベから上陸しマレー国境突破し所在英軍抵抗排除してケダー西部南進しようと計画した第25軍先遣兵団は、8日午前4時12分、シンゴラ第一回上陸部隊先頭部隊が上陸成功上陸後英国領事館占領しシンゴラ港に上陸根拠地水上基地設営始めた陸海航空部隊陸戦支援哨戒実施したパタニ、ターベ上陸を行う安藤支隊指揮官歩兵第42連隊長安忠雄大佐)は歩兵第42連隊基幹とする人員約7200名、車両230からなる部隊であり、輸送船6隻に分乗した。このうち歩兵一個大隊各種部隊加えた約2800名がターベに上陸する部隊輸送船2隻に分乗していた。支隊任務主力パタニ河口西岸に、一部をターベ北方上陸させ、パタニ、ターベ両飛行場占領しケダー州に進撃することだった。8日午前3時、パタニ・ターベ部隊ともに上陸開始成功するパタニではタイ軍反撃があったが、午前1140分頃、タイ軍降伏した夕刻までに両飛行場ともに占領成功したタイ軍側にはタムボン・ボトンに第42歩兵大隊があった。

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シンゴラ・パタニ方面

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 15:14 UTC 版)

マレー作戦」の記事における「シンゴラ・パタニ方面」の解説

シンゴラマレー国境近くタイ領であり、第二十五軍先遣兵団主力シンゴラから、安藤支隊パタニ、ターベから上陸しマレー国境突破し所在英軍抵抗排除してケダー西部南進しようと計画した8日午前4時12分、シンゴラ第一回上陸部隊先頭部隊が上陸成功上陸後英国領事館占領しシンゴラ港に上陸根拠地水上基地設営始めた陸海航空部隊陸戦支援哨戒実施したパタニ、ターベ上陸を行う安藤支隊指揮官歩兵第42連隊長安忠雄大佐)は歩兵第42連隊基幹とする人員約7200名、車両230からなる部隊であり、輸送船6隻に分乗した。このうち歩兵一個大隊各種部隊加えた約2800名がターベに上陸する部隊輸送船2隻に分乗していた。支隊任務主力パタニ河口西岸に、一部をターベ北方上陸させ、パタニ、ターベ両飛行場占領しケダー州に進撃することだった。8日午前3時、パタニ・ターベ部隊ともに上陸開始成功するパタニではタイ軍反撃があったが、午前1140分頃、タイ軍降伏した夕刻までに両飛行場ともに占領成功した。 なお、安藤支隊運んだ輸送船のうち「東山丸」「金華丸」「阿蘇山丸」は、重資材揚陸作業続行中の12月12日オランダ潜水艦O16」の攻撃受けて大破着底した。

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