シンゴラ・パタニ方面
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「日本軍進駐下のタイ」の記事における「シンゴラ・パタニ方面」の解説
日本軍は開戦と同時に英領マレーへの上陸作戦を企画し、上陸作戦では当初、ソンクラー(当時の日本軍呼称はシンゴラ)、パッターニー(当時の日本軍呼称:パタニ)などのタイ南部に海南島三亜から長途渡洋接敵によって奇襲上陸し、陸上から英領マレーに侵攻する案が有力であった。それに対し第25軍作戦参謀辻政信中佐が自ら偵察機に乗って要所偵察を行い、その結果、ソンクラー、パッターニーの飛行場は英領マレーの飛行場に比べて貧弱、イギリス軍の反撃に耐えず、上陸制空権確保にはならないと判断。英領マレーのコタバル飛行場同時上陸を敢行する案を陸軍案として強硬に要請した。南遣艦隊司令長官小澤治三郎中将は陸海軍の意向を聞き、このコタバル同時上陸決行を決断した。さらに第3飛行集団と第5飛行集団から抽出した第10飛行団が作戦協力することになった。 ソンクラーへは第5師団主力河村部隊が輸送船団(香椎丸、九州丸、青葉山丸、佐渡丸、龍城丸、関西丸、那古丸、浅香山丸、笹子丸、熱田山丸、病院船波ノ上、計11隻)で8日午前4時頃、悪天の中、上陸を開始。上陸に際し抵抗はなく、ソンクラー新飛行場を占領した。しかし、上陸後河村部隊は南部ホーン山麓のタイ国守備隊と交戦。佐伯部隊はタイ国王国軍と交戦しハートヤイへ進軍。午後2時ハートヤイを占領。鉄道突進隊は午前5時40分ソンクラー駅で速やかに車両を押収し、ハートヤイ駅、英領マレーパダン・ブサール駅付近の国境を突破のために進軍した。一方、市川支隊はタイ王国軍の抵抗に遭い、出発が遅れ午前9時20分自動車を押収し、鉄道の要地となるペラク河鉄橋の確保任務のために英領マレーのアロースター方面へ進軍した。 主力の河村部隊は、サダオ付近に英印軍機械化部隊が国境進出中との報を受け、午後2時30分交戦中のタイ国守備隊からの停戦を受け入れ、午後6時にハートヤイへ進軍した。それに対する英印軍第三軍団第6、第15旅団は英領マレー・ジットラ陣地から日本軍の進撃を遅滞させるために小機械化部隊と装甲列車をサダオへ進出させていた。9日21時ごろ、サダオで英印軍機械化部隊と交戦。戦闘末、英印軍は道路橋を破壊して、国境に撤退した。10日には佐伯部隊が国境線通過。12日には日本軍がジットラ陣地突破を果たすことになる。 ソンクラー県テーパー(当時の日本軍呼称:タペー)へは第5師団安藤支隊の一部(第3大隊)が輸送船阿蘇山丸、鬼怒川丸で8日払暁に上陸。テーパー海岸に上陸した第3大隊は困難な地形を突破し、午後7時頃飛行場を占領した。第3大隊主力は即座に南下し、9時14時安藤支隊主力第一大隊とヤラー付近パッターニー河畔で合流した。 パッターニーへは第5師団安藤支隊主力(第1、第2大隊)が輸送船団(東山丸、相模丸、金華丸、宏川丸)で8日午前4時頃、荒天の中で上陸。上陸時攻撃はなく、安藤大佐と将兵約50名でパッターニー市街へ先行するが、市街地への途中でタイ王国軍に包囲され戦闘となった。夜が明け、第1、第2大隊が西北部に進出してくると形勢が逆転し、11時40分パッターニー市街地北半分を占領したところで守備隊が降伏。武装解除を行い、パッターニー飛行場を占領した。この時交戦したタイ王国軍兵力は歩兵1大隊、警察隊1中隊、飛行場警備隊約200名だった。日本側の損害は死傷45名。 安藤支隊は揚陸作業を待つことなく、第1大隊が先行、第2大隊が続き、速やかにマレー国境に急行させた。しかし、パッターニー河渡河が隘路になっており、第1大隊が渡河を終えたのは10日朝となった。このため、隊列は長大になり、10日正午ベートンへの途上で英印軍と対峙したときにはわずかな兵を掌握しているに過ぎなかった。 他方、英印軍第三軍団クロコール隊(第14パンジャップ第5大隊、第16パンジャップ第3大隊、野砲1中隊、工兵1中隊、衛生隊)は8日15時に英領マレーのジットラ陣地からタイ王国領内に進攻。タイ王国警官隊と交戦しつつ、9日15時ベートンを占領。10日第14パンジャップ第5大隊進軍中に日本軍の軽戦車隊に遭遇、交戦になった。 11日夜後続の第2大隊が到着。12日前面の英印軍歩兵千数百名、戦車数十両に払暁攻撃を仕掛け、同日12日正午に突破した。13日午前10時には先行していた第2大隊がベートン郊外で英印軍第16パンジャップ第3大隊と遭遇、交戦となり、夜を徹して戦闘を行い突破した。14日午前ベートン北側を通過し、午後3時にはベートンを通過し、南進した。15日正午には国境線を越えて英領マレーに進攻した。
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シンゴラ・パタニ方面
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「日本軍のタイ進駐」の記事における「シンゴラ・パタニ方面」の解説
第25軍先遣兵団は主力はマレー国境近くのタイ領シンゴラから、安藤支隊はパタニ、ターベから上陸し、マレー国境を突破し、所在の英軍の抵抗を排除してケダー州西部を南進しようと計画した。 第25軍先遣兵団は、8日午前4時12分、シンゴラの第一回上陸部隊の先頭部隊が上陸に成功。上陸後は英国領事館を占領し、シンゴラ港に上陸根拠地と水上基地の設営を始めた。陸海の航空部隊が陸戦支援、哨戒を実施した。 パタニ、ターベ上陸を行う安藤支隊(指揮官は歩兵第42連隊長安藤忠雄大佐)は歩兵第42連隊を基幹とする人員約7200名、車両約230からなる部隊であり、輸送船6隻に分乗した。このうち歩兵一個大隊に各種部隊を加えた約2800名がターベに上陸する部隊で輸送船2隻に分乗していた。支隊の任務は主力をパタニ河口西岸に、一部をターベ北方に上陸させ、パタニ、ターベ両飛行場を占領し、ケダー州に進撃することだった。8日午前3時、パタニ・ターベ部隊ともに上陸開始に成功する。パタニではタイ軍の反撃があったが、午前11時40分頃、タイ軍は降伏した。夕刻までに両飛行場ともに占領に成功した。タイ軍側にはタムボン・ボトンに第42歩兵大隊があった。
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シンゴラ・パタニ方面
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シンゴラはマレー国境近くのタイ領であり、第二十五軍先遣兵団は主力はシンゴラから、安藤支隊はパタニ、ターベから上陸し、マレー国境を突破し、所在の英軍の抵抗を排除してケダー州西部を南進しようと計画した。8日午前4時12分、シンゴラの第一回上陸部隊の先頭部隊が上陸に成功、上陸後は英国領事館を占領し、シンゴラ港に上陸根拠地と水上基地の設営を始めた。陸海の航空部隊が陸戦支援、哨戒を実施した。 パタニ、ターベ上陸を行う安藤支隊(指揮官は歩兵第42連隊長安藤忠雄大佐)は歩兵第42連隊を基幹とする人員約7200名、車両約230からなる部隊であり、輸送船6隻に分乗した。このうち歩兵一個大隊に各種部隊を加えた約2800名がターベに上陸する部隊で輸送船2隻に分乗していた。支隊の任務は主力をパタニ河口西岸に、一部をターベ北方に上陸させ、パタニ、ターベ両飛行場を占領し、ケダー州に進撃することだった。8日午前3時、パタニ・ターベ部隊ともに上陸開始に成功する。パタニではタイ軍の反撃があったが、午前11時40分頃、タイ軍は降伏した。夕刻までに両飛行場ともに占領に成功した。 なお、安藤支隊を運んだ輸送船のうち「東山丸」「金華丸」「阿蘇山丸」は、重資材の揚陸作業を続行中の12月12日、オランダ潜水艦「O16」の攻撃を受けて大破着底した。
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