渡洋作戦とは? わかりやすく解説

渡洋作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 15:14 UTC 版)

マレー作戦」の記事における「渡洋作戦」の解説

1941年12月4日三亜作戦の全船団出撃確認した馬来部隊指揮官小沢治三郎海軍中将は、最後に馬来部隊主隊を率いて同地から出撃した。マレー攻略船団部隊午前8時までに警戒航行隊形の制形を終えた。この日は晴れ風向北・風速5米で、山下奉文陸軍中将以下約2万人の第二十五先遣兵団乗船する輸送船18隻は、小沢中将指揮する重巡5隻、軽巡1隻、駆逐艦14隻、駆潜艇1隻、合計21隻の艦艇護衛されマレー半島目指し進撃開始した一方南方部隊指揮官近藤信竹海軍中将も、戦艦2隻、重巡2隻、駆逐艦10から成る南方部隊本隊率いて同日午後12時45分馬公出撃し、約700海里南西方にあるマレー攻略船団部隊支援のために続行した6日午後1時45分船団護衛中の各艦は機影発見し日本側が英軍機と確認できたその飛行機は船団接近し護衛艦艇の射撃圏外から偵察続けた午後3時小沢中将航空機による英軍撃墜第一第二航空部隊命令した12月1日大本営海軍部は輸送船団偵察する航空機現れ場合撃墜指示していた。また、この朝に今次作戦機密書類搭載した陸軍徴用機が中国沿岸不時着し、それらの書類中国軍の手入った疑いがある旨、大本営海軍部から通報もあった。したがってこの撃墜契機この方面で日英戦闘状態に入り南方作戦全体大きな影響与える心配があったが、小沢中将これくらい破たんすることはないと考えていたという。しかし、両航空部隊英軍機を発見できなかった。7日午前3時小沢中将第二航空部隊夜間索敵命じ午前9時50分、「神川丸」の零式水偵緒方英一予備少尉)が索敵帰途英軍飛行艇PBY型)を発見し交戦中、約10機の陸軍機がこれを発見して午前10時15分これを撃墜し午前11時、「山陽丸艦長がこの報告小沢送信した予期された英航空部隊反撃はなく、英艦隊認めない状況かんがみ小沢中将予定通りの上陸を決意し、「予定どおり甲案により上陸決行コタバル同時上陸」の意図山下中将伝えて同意得て午前10時30分、分進地点到着すると、各部隊予定上陸地点コタバル方面シンゴラ・パタニ方面、ナコン方面、バンドン・チュンポン方面、プラチャップ方面)に向かって解列分進した。7日夜半馬来部隊主隊および護衛隊本隊コタバル80100海里付近に達し、英艦隊反撃備えながら上陸作戦支援の態勢整えた

※この「渡洋作戦」の解説は、「マレー作戦」の解説の一部です。
「渡洋作戦」を含む「マレー作戦」の記事については、「マレー作戦」の概要を参照ください。

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