イギリス軍の反撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/26 13:10 UTC 版)
「クライスラー農園の戦い」の記事における「イギリス軍の反撃」の解説
イギリス軍はアメリカ軍がサケット港に集結したことを知っていたが、その後も長い間、アメリカ軍の目標がイギリス艦隊の基地であるオンタリオ湖岸のキングストンだと信じていた。アッパー・カナダの副総督フランシス・ド・ロッテンバーグ少将は、キングストンに持てる戦力を集中させた。ロッテンバーグは、アメリカ軍がフレンチ・クリークからセントローレンス川を下り始めたと聞くと、ジョセフ・ウォントン・モリソン中佐に「監視軍団」を任せてアメリカ軍の後を追わせた。ウィリアム・マルカスター海軍中佐が護衛用砲艇と小さな舟艇の指揮を執った。11月8日遅くにキングストンを発ち、オンタリオ湖がセントローレンス川に入った地点にある「サウザンド・アイランズ」の間で、基地を封鎖していたアイザック・ショーンシー海軍准将の艦船を避けて通った。 この軍団は650名の戦力であったが、プレスコットから増援が加わり800名程になった。11月10日遅く、アメリカ軍から2マイル (3 km)上流のクライスラー農園で宿営した。地形はほぼ開けており、イギリス軍の戦術やマスケット銃攻撃には視界が良かった。モリソンは敵から挑まれればここで受けて立とうと考えていた。
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