ケベックの戦いと包囲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/01 18:42 UTC 版)
「カナダ侵攻作戦」の記事における「ケベックの戦いと包囲」の解説
詳細は「ケベックの戦い (1775年)」を参照 ケベック市攻撃の作戦を立てているときにトロワリビエール近くに住んでいるフランス人クリストフ・ペリシエがモントゴメリーに会うために尋ねてきた。ペリシエはアメリカ側を政治的に支援しており、セントモーリスで鉄工所を経営していた。モントゴメリーは彼と植民地会議を開催する考えについて議論した。ペリシエはケベック市を占領して、市民達にその安全が保障され自由に行動できるようになるまでは、会議を開かないほうが良いと言った。2人の間ではペリシエの鉄工所が包囲戦に必要な銃弾を提供することで合意し、それは1776年5月に大陸軍が撤退するまで続いた。ペリシエはその後に逃亡し、最後はフランスに戻った。 合流しケベックの包囲をしていたモントゴメリーとアーノルドの部隊であったが、実働可能な兵はおよそ1000名しかおらず、さらに食糧不足や天然痘、そして冬の寒さに苦しめられていた。そうした中、多くの兵の軍隊在籍期間が切れる12月31日を目前とした12月31日の午前4時に戦闘が開始された。アーノルドは自分の部隊を2手に分けた。アーノルドが総勢600名を率き連れて町の北側を攻撃し、モントゴメリーは300名の部隊で南側を攻撃した。2つの攻撃部隊はセントローレンス川に接する1点で落ち合い、そこから防壁の中へ突入する手筈だった。しかし、防御は非常に堅く力押しでは落ちなかった上、夜明け前に吹雪がはじまっていた。モントゴメリーの部隊は川沿いにケープダイアモンド稜堡の下を進んでいたが、30名のカナダ人民兵が籠もるバリケードに出くわした。戦端が開かれ、最初の一斉射撃でモントゴメリーが殺され、他にも多くが死傷した。大陸軍は吹雪の中では使えないマスケット銃しか持っていなかったので、反撃もうまくいかないまま川岸を退却した。 一方、アーノルドはモントゴメリーの戦死と攻撃失敗を知らないまま、北側のバリケードに向かったが、町の防壁を守るイギリス軍と民兵の反撃を受けた。ソルト・オ・マテローという名の通りにある道路バリケードで、アーノルドはマスケット銃の弾を左くるぶしに被弾し後方に搬送された。アーノルドに代わり副官のダニエル・モーガンが指揮を執ってこの道路バリケードを突破した。しかし次の命令を待つ間に、大陸軍は通りや近くの家の中の民兵の攻撃にさらされ、イギリス軍の反撃でバリケードが再度奪取された事で、モーガンと彼の部下が狭い通りに孤立してしまい、モーガン部隊は降伏した。10時までにモーガン以外にも町に取り残されていた部隊が降伏し、戦闘が終わった。 この戦闘でアーノルドの部隊は30名以上が死亡し(他にも春の雪解け後に20名以上が発見され、凍結した川を越えて逃げる間に数名が溺れた)、モーガン以下426名が捕虜となった。モントゴメリーの部隊では少なくとも12名が南の川岸で死傷した。一方、イギリス軍の被害は、指揮官ガイ・カールトンによると、海軍士官1名とフランス系カナダ人民兵5名の死亡、正規軍兵士4名と民兵15名の負傷だった。 アーノルドは戦闘後にモーゼス・ヘイズンともう一人の国外居住者であるエドワード・アンティルを、モントリオールにいるデイビッド・ウースターとフィラデルフィアの大陸会議に敗北を報告し援軍を要請するために派遣した。カールトンは大陸軍を追撃しないことに決め、市の防御工作物の中に留まる道を選び、春になって川の氷が溶ければ期待できる援軍を待つことにした。アーノルドは兵力比が3対1になっても効力の無いケベック包囲を続けたが、1776年3月にモントリオールに戻り、ウースター将軍と交代するよう命じられた。この期間包囲軍は厳しい冬季の気象条件に苦しみ、天然痘が宿営所に蔓延し始めた。これらによる損失で毎月到着する小さな中隊単位の援軍があっても勢力は相殺された。3月14日、市の下流に住む製材業者のジャン=バティスト・シャシュールがケベック市に入って、カールトンに川の南岸にいる200名が大陸軍に対抗する用意があることを伝えた。これらに加えてさらに多くが動員されたが、前衛部隊がサンピエールの戦いで、川の南岸に駐屯していたアメリカ寄り地元民兵隊の派遣部隊によって敗北した。 3月にジョン・トーマス将軍に率いられた大陸軍の援軍が到着し、総勢は3,000名まで回復したが、主に天然痘のためにその4分の1は戦えなかった。さらには、ロイヤリストの執拗な情報宣伝のために、500名のカナダ人を指揮していたリビングストンとヘイズンがその兵士や協力市民の忠誠心について悲観的になった。
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