ケベックでの従軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/28 15:19 UTC 版)
「モーゼス・ヘイズン」の記事における「ケベックでの従軍」の解説
「カナダ侵攻作戦」も参照 ヘイズンはケベックの戦いに従軍し、その破壊的な損失をフィラデルフィアの第二次大陸会議に報告するために派遣された二人の内の一人となった(もう1人はエドワード・アンティル)。大陸会議はヘイズンの功績を認めて大佐に任官し、大陸軍の第2カナダ連隊、またの名を大陸会議所有連隊あるいはヘイズン連隊の指揮官に任じた(アンティルはこの連隊の中佐に任じられた)。ヘイズンは当初准将の位を提案されたが、これを拒み、その代わりに大佐を要求し、戦闘で失われた損失への賠償を求めた(ヘイズンの資産は既にサントジャン砦周辺の大陸軍の行動でかなりの損傷を受けていた)。ヘイズンはリビングストンの大尉の一人であるジョン・ダガンより前にフィラデルフィアに到着して幸運だった。ダガンにはそれ以前にベネディクト・アーノルドが第2カナダ連隊への任官を約束していた。 ヘイズンとアンティルはケベックに戻り、アンティルが連隊のための兵士を徴兵している間、ヘイズンはモントリオールに駐屯していた。ヘイズンは1776年3月下旬から4月半ばの短期間大陸軍のためにモントリオール防衛軍を指揮した。このときデイビッド・ウースター将軍がケベック郊外の大陸軍を指揮し、アーノルドがモントリオール守備隊の指揮官に就任した。ヘイズンが指揮を執った間にティモシー・ベデルと390名の兵士を派遣してモントリオールから約40マイル (64 km) 上流のザ・シーダーズの防御を固めさせた。この部隊は5月のシーダーズの戦いでイギリス軍とインディアンの連合軍に降伏した。
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